『エディントンへようこそ』

「ミッドサマー」のアリ・アスター監督が「ボーはおそれている」に続いてホアキン・フェニックスを主演に迎え、コロナ禍でロックダウンされた小さな町の選挙戦が全米を巻き込む大事件へと発展していく様子を描いたスリラー映画。
2020年、アメリカ・ニューメキシコ州の小さな町エディントン。コロナ禍のロックダウンにより息苦しい隔離生活を強いられ、住民たちの不満と不安は爆発寸前に陥っていた。
そんな中、町の保安官ジョーは、IT企業誘致で町を救おうとする野心家の市長テッドとマスクの着用をめぐる小競り合いから対立し、突如として市長選に立候補する。ジョーとテッドの諍いの火は周囲へと燃え広がり、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上する事態となる。
一方、ジョーの妻ルイーズはカルト集団の教祖ヴァーノンの扇動動画に心を奪われ、陰謀論にのめりこむ。疑いと論争と憤怒が渦巻き、暴力が暴力を呼び、批判と陰謀が真実を覆い尽くすなか、エディントンの町は破滅の淵へと突き進んでいく。
保安官ジョーをホアキン・フェニックス、市長テッドをペドロ・パスカル、ジョーの妻ルイーズをエマ・ストーン、カルト集団の教祖ヴァーノンをオースティン・バトラーがそれぞれ演じた。2025年・第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。
アリ・アスター監督の作る作品は毎回のことながら奇想天外な展開に驚かされる。
本作も多分に漏れず、どこに連れていかれたのかわからないままに、出口すらも見えてこず。
言ってしまえば簡単な物語なのですが、その過程や展開を断片的に知らされると「どういうことなの?」となることは必至。
ただ、この作品を観ていて、ただならぬ世界に生きているなと思わされるところもあり、現代をそのまま戯画化したような世界観が広がる。
その視座はどこからくるのか。
SNSの渦中に生き、デジタルと共存、むしろ凌駕されているとも言える”デジタルパラレルワールド”への誘い。
マトリックスを観た時にはこんな時代は到来するのかと思っていたものですが、着実にその世界は近づいてきているとも言える。
肉体が現実に存在はするものの、情報や認知という観点において、既にその浸食が始まっているとみても良いほど。
現実で操っていると思っていたテクノロジーやSNSに、実はこちらが取り込まれているということを身をもって知らされる。
まことに怖いことだなと思う反面、それが現実なのだと思うと、いったい人はどこを目指し、何を信じれば良いのか。
本作ではホアキン・フェニックス演じるジョーが主人公となり、その過程を追体験していく構成となっているわけですが徐々にその構図がズレ始める。
ジョーさえも被害者であり加害者、他の登場人物たちも同様の道を辿り、果ては誰もが妄想に取り憑かれていく。
誰しもが盲目的で観念的に行動するからこそ、ピボットとなる転回の速さも一瞬にして起こる。
旧来の右派、左派といった枠組みがその体を成さなくなってきているように、自身の思考そのものが体を成さなくなるような錯覚に陥る。
一体我々は何に動かされているんだ。
信じるものが少なかった時代から、信じるものが多様化し、知らず知らずのうちに洗脳されているような時代。
もはや自分が思っている事すらも誰かに思わされている可能性があり、だからこそ陰謀論のようなものが世界を蹂躙していく。
そういえば陰謀論と言えばこの作品が直近で印象深い。
魚豊さんらしい構成と描写。描かれる混沌としたカオスも陰謀に支配されたのは真実なのか否か。
話は逸れましたが、現トランプ政権にしろ、地政学リスクにせよ、本作の主題となっているコロナにせよ。フェイクニュース勃興の現在、何が本当で何が嘘なのか。専門家や現状を把握しているコアな立ち位置の人物以外、理解し得ないような事情により世界が混沌と動いていく。
ベルトコンベアに乗せられ、ただ景色を眺めるかのような人生という名のライド新機軸。
今までであれば、人生をどう歩むのか、周囲の目の届く範囲でしか把握する術が無かった。だからこそ程よい連帯があったものが今となっては逆に損なわれているかのよう。
そんな本作なのですが、設定がまず面白い。
このエディントンという地名からして存在しない架空の名称のようで、それもどこかにありそうな町として存在していること自体が不可思議さを醸し出す。
空白の器としての存在、その中に生きる人々、まるでツインピークスのような看板のショットから、町そのものの不安定さが表出する様も同様。
カメラの構図にしてもそうした不可思議さがあり、引きのショットが多かったり、不安定な画角が多かったり。
これにより心理的な距離や世界とのズレが画的にも見え、ぎこちないやり取りに歯がゆくも嫌な気持ちを掻き立てられる。
この町のすれ違う様、わかり合えないズレすらもアンバランスな舞台とリンクし、現実の揺らぎを再現しているかのよう。
音響もそうした下敷きを踏襲しており、環境の大きさ、基本的に鳴らないサウンド、これらが不気味に、町の異様さを際立たせ、転々と転がるようにストーリーに運ばれていく。
いつも通りアリ・アスター監督らしい仕掛けやギミックも如何なく発揮されており、その辺は抜かり無きオリジナル性。
唐突な展開、シームレスな強烈さ、ゴア描写などはまさにな展開などなど。このらしさというのは作品に唯一無二の油断出来なさを付与してますし、彼だからこその世界との向き合い方を強制的に見せられるという。
ホアキンとの相性も良く、なぜ片田舎の市長選がここまでとんでもない展開になっていってしまったのか。
容赦のない現実を見せ、それとデジタル世界を対比する。スマホやPCといったデジタルデバイスが常に登場し、それにより写し鏡的に世界と対峙するというのは本末転倒でコミカルの極み。
右も左もわからぬまま、ラストの結末を観た時にこれは何の物語だったのかと考えさせられる。
町も人も作為的に作られたものであり、幻想が全てを包み込むような世界。
これは映画の中の物語だと思っては大間違いで、それこそが本作の仕掛けた本当の意味であり、大きな仕掛けなのかもしれないと思うと、これまた嫌な悪夢を見させられているかのような気にさせられる。
世界は本当の意味で幻想と化してきている。
その事実と向き合い、真に問うているものにのみ、あるべき現実が見えてくるのかもしれない。
エディントンへようこそ。
では。

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