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「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッドが、94歳を迎えた2024年に発表した監督作。ある殺人事件に関する裁判で陪審員をすることになった主人公が、思いがけないかたちで事件とのかかわりが明らかになり、煩悶する姿を描いた法廷ミステリー。
ジャスティン・ケンプは雨の夜に車を運転中、何かをひいてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。その後、ジャスティンは、恋人を殺害した容疑で殺人罪に問われた男の裁判で陪審員を務めることになる。しかし、やがて思いがけないかたちで彼自身が事件の当事者となり、被告を有罪にするか釈放するか、深刻なジレンマに陥ることになる。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルトが主人公ジャスティンを演じるほか、「ヘレディタリー 継承」のトニ・コレット、「セッション」のJ・K・シモンズ、「24 TWENTY FOUR」のキーファー・サザーランドらが共演。陪審員のひとりとして、リアリティ番組「テラスハウス」などに出演した日本人俳優の福山智可子も出演している。
イーストウッド作品にして日本での劇場公開はなし。
何故公開されないのかというところではありますが、作品としてのクオリティはさすがイーストウッド。
法廷サスペンスというと個人的に直近では『シカゴ7裁判』が印象的だったのですが、ある意味でワンシチュエーションものになり、単調でつまらなくなる可能性があるんですよね。
その意味でいうと『シカゴ7裁判』の持っていき方は上手かった。
テンポの付け方、サウンドによる強弱、アクションさながらに法廷劇を見せてしまうというのは独特な発想で全く飽きずに観られたわけです。
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そして本作。114分とわりと長めの上映時間だったのですが、こちらもまたあっという間の体感時間。
先に書いた『シカゴ7裁判』のようなスリリングさ、テンポの良さとは違う老齢の巨匠が撮る法廷劇。
スローなテンポの中にあって物語上の起伏を設け、会話劇を徐々に満たしていく感じ。
これが効いていました。
ただ、冒頭から少々気になってしまったところもありまして、それが画作りの部分。
あえてなのか、室内、屋外問わず、なんかチープさの残るようなドラマ的な画作り。これが意図してなのか、予算的なものなのかわかりませんが、最後まで疑問符が残る違和感ではありました。
ですが、物語の内容としてはこんなに単調でいてもなぜか抜群に面白い。
勢いで押し切るわけでもなく、陪審員ならではの「本日はここまで」という区切りが絶妙に機能している。終始続く緊張感を弛緩させ、自分だったらという思考の間を作り込むような作り。
検事、弁護士、証人、陪審員、遺族、被害者、被告、それぞれの視点からまんべんなく捉えられており、余白を残した構成と、間の演出がとにかく見事。
どちらも満たすにはこれくらいのバランスしか無いよなと鑑賞後に思うのは簡単なことながら、それを監督が思考として体現するレベルの高さよ。
序盤での事件における被害者の画を躊躇なく見せるところなどは遠慮がなく、この映画はそうした事実と真実の客観性の証明であり、忖度なしの現実を突きつけるぞという意思すら感じました。
物語の中核にあるテーマも現代を忠実に捉えており、その多面性をここまで纏まり良く映画にできるというのが本当に素晴らしい手腕ですよ。
真実と正義というのは似て非なるもので、どちらにも必ず主観が入り込み、唯一のそれは存在し得ない。
冒頭の画だけでそれを語るのもにくい演出ですよね。
そしてラストの終わりを見た時にさらになるほどなと思わされる部分があるわけですよ。
映画が終わっても、我々の物語は永遠と続くわけで、真実と正義も時を経て形を変えていく。
トニ・コレットが最後のシーンで緑のジャケットを着ていたのを見て、緑が想起させる再生や新芽のイメージ。
つまり何かがねじれ、概念が変わり、何かを見失うことがあっても、目指すものがブレなければ、それらは常に新たなる息吹として作用し得る。
そんなトニ・コレット側の印象とまた別のフレームにあるジャスティンand妻。
こちらからの視点でみると救いとも取れるようでいて、犯したことの真実性、取り返しのつかない事柄に対するところもあり、冒頭でのシーンが円環として想起される。
この相反する行動を鑑みつつ、それでも希望にも似た願いを感じずにはいられないというのが生きる上での糧にも通じるところではないでしょうか。
何より、それをイーストウッドが描くというところがたまらないじゃないですか。
劇場でなくとも観る価値はある作品なのは間違いないでしょう。
では。