『半世界』

「エルネスト」「人類資金」の阪本順治監督のオリジナルストーリーで、稲垣吾郎が主演を務めた人間ドラマ。
稲垣が主人公となる炭焼き職人の紘を演じるほか、長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦ら実力派キャストが共演する。山中の炭焼き窯で備長炭の職人として生計を立てている紘の前に元自衛官の瑛介が現れた。突然故郷に帰ってきた瑛介から紘は「こんなこと、ひとりでやってきたのか」と驚かれるが、紘自身は深い考えもなく単に父親の仕事を継ぎ、ただやり過ごしてきたに過ぎなかった。同級生の光彦には妻・初乃に任せきりの息子への無関心を指摘され、仕事のみならず、反抗期である息子の明にすら無関心だった自分に気づかされる。やがて、瑛介が抱える過去を知った紘は、仕事、そして家族と真剣に向き合う決意をする。
2018年・第31回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、観客賞を受賞した。
タイトルのキャッチーさと秀逸さ。
「自分たちはまだ世界の半分しか知らないのかもしれない」という感覚は大げさではあれど、誰しもが時折は思うことでもある。
冒頭の始まりがどこに通じるかというのは終盤に実を結ぶ。鑑賞時の印象による齟齬が強く、観終える頃には当初の感覚と乖離した別の感情を吐露する。
まず率直に感じたのが、稲垣吾郎さんの演技力、雰囲気の違い。
このような役柄もこなせるのかと驚きを隠せず、以前の雰囲気とは一線を画す。こうもいなたく、ぶっきら棒の父親役を演じられるようになっているのは年齢なのかアイドルという呪縛からの解放なのか。
作品自体は序盤からどことなく不穏な予感も感じさせ、何か起きるのではないかという予感だけが漂う。
ですが、その予感は思うような方向にはいかず。
事前情報、前提条件が明示され無いというのが大きく影響しているように見え、それぞれのバックボーンというのは徐々に明かされていくものの、ごく一部ののみに制約された開示が物語に余白を残す。これが良い塩梅でミステリー的なる要素と結び付き、感情の不確かさとも通ずる。
家族であれば、親しい友人であれば、理解できているということでも無く、だからといって理解できていないというわけでもない。そのリアリティこそが人を人たらしめ、存在の在処を不明瞭にする。
こうした中で描かれる人間模様というのは実に生々しい。実社会と地続きの実感を持たせ、それぞれの世界の重なりが全体を構築するというのは量子力学が持つ重なりの関係性とも近似する。
不確かさを確かにするわけでもなく、過去として築いてきた事柄を拠り所に、追憶を馳せる。
出てくる3人の友情関係というのも良いなと思わされるところであって、決して常に仲が良いわけではないが、バランスとして語られる三角形の理論、二等辺であり正三角形でもあり、というのは理想的に思うところですし、完全に依存しきっていないというのも共感が持てる。
こういう関係性がさらなる繋がりの契機となり、人間関係も重なりながら拡張していく。
人に興味が薄いと言われた紘でさえ、実のところ、それだけで片付けられない内面を持っているわけで、その葛藤や含みがじわりと沁みる。
職業としての炭焼き職人というのも興味深く、過程や難しさ、何よりも時間の掛かる作業であり、その時間の捉え方が人生そのものとシンクロするようにも見える。鍛錬を積み、鍛え上げることで円熟味が増すように、人格の形成が深みを増す。その過程は当たり前のように孤独で凡庸なものかもしれない。でも、それは必要なことであり、そうした過程を経られるかどうかが、実りある人生を過ごすために必要なのかもしれない。
面白かったのが全然知らなかった黒炭と白炭の違いに関して。
「黒炭と白炭の違いは、ひとことで言えば『火の消し方』と『命の宿らせ方』にあります。」
黒炭(くろずみ)
- 作り方: 約400〜700度の窯で蒸し焼きにした後、窯を密閉して酸素を絶ち、じっくり冷まして取り出す。
- 特徴: 火つきが良く、素直に燃え上がる。やわらかく、扱いやすい普段着の炭。
白炭(しろずみ・備長炭など)
- 作り方: 窯の温度を1000度近くまで極限に高めた後、真っ赤に熾(おこ)った炭を窯の外へ引き出し、灰(消し粉)をかぶせて一気に急冷・消火する。(表面に付着した灰によって白く見える)
- 特徴: 叩くと金属のような高い音を奏でるほど硬い。火つきには時間がかかるが、一度火が起これば煙を出さず、静かに、長く、圧倒的な遠赤外線を放ち続ける。
この違いに起因する、熱狂に流されることもなく、時代の片隅で愚直に木と向き合うスタンス。過酷な工程を経て固く引き締まっていく紘たちの人生そのものが、まるであの白炭のように映る。
空想の中で白炭同士が反響する音を聴く紘の姿というのは、自身の周りに耳をそば立て、浸るような美しい残響が時間を掛けて醸成したからこその響きであり、成果でもあるように思う。
知らせたいことはもう知らせることが出来ないかもしれないが、それを知れたのが今ということは非常に有意義な時間だったのではなかろうか。見えない余白の時間、共に過ごした共生の時間ではない、それぞれの世界を過ごした後、それでも共通の感覚として得られる時間という別世界もあるのだと。それは間違いなく生きる上での糧になる。
何はなくとも死ぬことは無いが、その死というのは突然に訪れる。
そう考えると、無駄という概念こそが無駄なのかも知れず、もがきながら美しい音色を奏でられるようになりたい。
では。
探幽:生の営みは醸成され、硬質さを身に付ける

