ロッキーのようなボクシングものだと思っていると足元をすくわれる。
「ミリオンダラーベイビー」
ロサンゼルスの寂れたボクシングジムの門を叩いた田舎育ちのマギー。ジムのオーナー兼トレーナーのフランキーは彼女を拒んでいたが、彼女の真剣さに打たれ、彼女のトレーナーとなる。お互いに父娘の関係をなくしている2人は、激しいトレーニングの中で人間的に歩み寄っていく。
スポーツものにありがちな努力をしたら必ず報われるという結末。それはそれで映画らしいカタルシスがあるし、良い作品も存分にある。
でもそこはイーストウッド。
ギリギリのラインで生と死の人間描写を丁寧に描き、人生とは、人の繋がりとは、と言った大きな問題に自然と向き合わせてくれる。
イーストウッド作品にある重要なファクターとして、「ある問題と自然に向き合わせてくれる」という脚本の冥利があると思う。
本作も前半パートは完全にスポ根もので、努力が全てを解決し、成功へと導いてくれる可能性を示唆している。それが後半パートになるとその伏線を絶妙に回収しながら、人生そんなに甘くないということを盛り込んでくる。
フランキーの言葉やエディの言葉から出てくる年を重ねた人にしかわからない、経験したものにしかわからない苦悩や葛藤の重さは計ることができないけど、それを聞くことに意味はあるということも説得力があるし、必要だと思わされる。「自分を守れ」という教えなんかは終盤の展開に思い出すと後悔せずにはいられなくなる。
一方でフランキーが冒頭から毛嫌いしていた根性という言葉。その代名詞的に登場していたデンジャーという若く、確実に頭が足りないであろうボクサーも、終盤になると意味合いが変わってくる点も面白い。
根性だけでは強くなれないし、それが命取りにもなり得る。それでも、根性すらない奴が勝てるほど甘くは無いということがフランキーの仕事場の壁に刻まれている「タフだけでは足りない」という言葉も伏線に感じるし。フランキー自身もトレーナーとしての自分の凄さ以上に、それを振り切っても自分の意思を曲げなかったマギーを賞賛しているところからも、根性、言い換えるなら意志の強さの重要性を訴えているように感じた。
それと同時にフランキー自身もミサを欠かさず行い、神父の受け答えにただ耳を貸すのではなく、自分なりの考えを持って問うていたし、ラストでのマギーを殺すかどうかの場面でも、神父の助言を聞きつつも自分が信じるエディの言葉を正としたところに意志の強さを感じた。
これはどっちが良いとか悪いとかの話ではなくて、自分の人生なのに他人に委ねて良いのかという点が問われている気がした。
マギーがボクシングを始めた事も、母親に家を買ったことも、縁を切った事も、フランキーの助言を守らなかった事も、尊厳死を切望した事も、エディがマギーにボクシングを教えた事も、フランキーがトレーナーになった事も、全部自分達が選んできた結果。そう考えると人生の深みというか感慨深さが増すし、知らぬ間に他人に判断を委ねていることの危険性みたいなものにも気づかされる。人の価値観はそれぞれだし、何を幸せと感じるかもその人次第、それでもそれを選べるし選ぶ必要があることを学んだ気がした。レモンパイという一つの食べ物が一つの幸せという形を表現していたように。