『ザ・バイクライダーズ』
アメリカの写真家ダニー・ライアンが1965~73年にかけてのシカゴのバイクライダーの日常をとらえた同名写真集にインスパイアされた作品で、伝説的モーターサイクルクラブの栄枯盛衰を、「エルヴィス」のオースティン・バトラーと「ヴェノム」シリーズのトム・ハーディの共演で描いた。
1965年、シカゴ。不良とは無縁の日々を送っていたキャシーは、ケンカ早くて無口なバイク乗りベニーと出会って5週間で結婚を決める。ベニーは地元の荒くれ者たちを束ねるジョニーの側近でありながら群れることを嫌い、狂気的な一面を持っていた。やがてジョニーの一味は「ヴァンダルズ」というモーターサイクルクラブに発展し、各地に支部ができるほど急速に拡大していく。その結果、クラブ内の治安は悪化し、敵対クラブとの抗争も勃発。暴力とバイクに明け暮れるベニーの危うさにキャシーが不安を覚えるなか、ヴァンダルズで最悪の事態が起こる。
「最後の決闘裁判」のジョディ・カマーがストーリーテラーとなるキャシー役を務め、バトラーがベニー、ハーディがジョニーを演じた。監督・脚本は「MUD マッド」「ラビング 愛という名前のふたり」のジェフ・ニコルズ。
まずもって同名の写真集があったというのを知らなかったんですが、ネットで見ても透明感の伝わってくる写真群。
モノクロの抜けの良さを生かしたようなクリアさが目を見張る。
これは写真で見たいところなのですが、絶版かつ高騰しているので中々に難しそう。
ですが、作中でもその写真集さながらの様相、つまりはショットが点在しており、映画自体にもそれらを体現されておりますので、まずは本作から。
と思っていたんですがアマゾンで買えるのか?いちよ購入できそうなのでこちらも買ってみることに。
こういうカルチャー感が漂う映画というのはもっぱらの好物なんですが、本作も抜群に好み。
ポスタービジュアルからしてカッコ良いですよね。
まず、主演のベニーを演じるオースティン・バトラーがカッコ良過ぎる。
『デューン 砂の惑星 PART2』で登場した時の狂気性を帯びた人物像とは全く印象の異なる人間味を帯びた土臭い感じ。
人間性という意味では欠けている人物ながら、人間味という意味においての純粋さが滲み出るような人物描写。
佇まいや仕草などからそうした機微が伝わってくるのはオースティン・バトラーの演技力が見せるところなのでしょう。
その他の演者も粒ぞろいで、ジョディ・カマー、トム・ハーディー、マイケル・シャノン、ノーマン・リーダスまで。
ファッションに関してもオリジナルの著書、つまりは実在するバイカー集団”Outlows Motorcycle Club”を参考にしているそうですが、これがまたカッコ良いんですよ。
基本スタイルはビタビタのライダースにタイトなパンツ。そこに個々のアレンジやこだわりを加算していくわけですが、それもまた良き。
ウエスタンシャツ、デニムベスト、カットオフしたTシャツ、タンクトップ、ワッペンによるカスタム、開襟シャツ。
どれをとっても良きスタイル。
衣装はエリン・ベナッチということで『ブルー・バレンタイン』や『ドライヴ』もやられていた方なんですね。
それは納得。
それにしてもダントツでオースティン・バトラーのスタイリングが好み。
ヘアスタイルにしても角の残ったラフなオールバックで襟足はやや長め。
ライダースの上にデニムベストを着るこだわりや伸ばしすぎない髭なんかも絶妙でカッコ良い。
この辺の観点から考えると『アウトサイダー』に非常に近い雰囲気だなとも思うわけです。
バイクのカッコ良さ、スタイルのカッコ良さも然ることながら、プロットにおける深度も中々に深い。
人が群れ、何を拠り所とするのか。
群れるということに関しては作中でも述べられるような”居場所”を求めてのこと。
では”拠り所”は。
場所としてのそれは群れる意味と同義かもしれませんが、実際のそれはこだわりや生き様にも似た精神性の在りか。
結成当初に抱いていたようなものは徐々に形骸化し、大きくなるほどにその核心は薄れていく。
世代差などもそうで、時が変化すれば人も変わり、組織も変わる。
当たり前のようですが、それをあのような形でまざまざと見せつけられると。
挑戦の方法こそが全てを物語っており、古き良きなどというものは懐古主義ゆえの名残。事実ではあるものの少々の寂しさとそうじゃない感。
別に古きものを良しとは思いませんが、心持ちはしっかりと持ちたいと思ってしまう。
ひいてはそれがスタイルへと繋がるわけで。
ただ、結局のところスタイルも成り立ちとしてのバックボーンを根城としながら、変遷、変容を経て、変わってもいくわけで、サブカルチャーがメインカルチャーに昇華していくということもある種の矛盾を内包しているとも言えるんですよね。
それって我々が生きている社会でも同様のことが起きるわけですしその中で生きることで個々の考え方というのは非常に重要になってくると思うんです。
ベニーが考えるその生き様はそれこそが魅力的で、確固たる自身のこだわりから滲み出るカッコ良さ。
キャシーが言っていた「あの人は執着が無い」という言葉が示しているように、執着というものがどれだけ粘着質で堆積されていく屑のようなものか。
僻み、妬み、嫉みといったものは、それこそ全て執着から生じるわけで、そこから自由になることは本当に難しい。
それを恐れず、むしろそうなることにすら恐れを感じるようなベニーだからこそあのスタイルを貫けたんだろうなと。
でも、最後に見せる涙、あれこそが本当の感情の吐露であって、苦しくないわけが無いし、葛藤が無いわけがない。
スタイルを貫き、芯を曲げないことがどれほどに痛みを伴うものなのかということも同時にわからせてくれるあのシーンにはグッとくるものがありました。
ある意味冒頭のベニーとキャシーのツーリングこそがサブカルの入口的な感覚であり、初期衝動の表出でもあるわけです。ジョニーが映画を観てクラブを結成しようとしたのもそうですよね。
あの感覚を維持出来たらなと思うものの、そうはならないのも事実なわけでして。
そういった流れ、冒頭からそうですが、ダイアローグ形式で進む物語の展開というのもアメリカの文学性を汲んだようなPOPさを演出する作り。
客観性を帯びたアメリカという古き良き原風景を話法で描く様には納得感もありましたし、狂気性や暴力性を幾分か緩和してくれるような効果もありで、非常に良き構成でした。
世間一般からのはぐれ者であってもどこかしらに帰属意識は持ちたい、その果ての客観性とそれすらも逸脱するベニーの対称性をサブカルの視点からアメリカ社会、部分から全体への良き構成を非常にカッコ良く描いた素晴らしき世界観でした。
年末にバチバチに決まった世界観に浸れるとは思ってもいなかったので思わぬ出会いとなりました。
では。