『ブルータリスト』

「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディが主演を務め、ホロコーストを生き延びてアメリカへ渡ったハンガリー系ユダヤ人建築家の数奇な半生を描いたヒューマンドラマ。2024年・第81回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞し、第97回アカデミー賞でも主演男優賞ほか3部門を受賞した。
ハンガリー系ユダヤ人の建築家ラースロー・トートは第2次世界大戦下のホロコーストを生き延びるが、妻エルジェーベトや姪ジョーフィアと強制的に引き離されてしまう。家族と新しい生活を始めるためアメリカのペンシルベニアに移住した彼は、著名な実業家ハリソンと出会う。建築家ラースローのハンガリーでの輝かしい実績を知ったハリソンは、彼の家族の早期アメリカ移住と引き換えに、あらゆる設備を備えた礼拝堂の設計と建築を依頼。しかし母国とは文化もルールも異なるアメリカでの設計作業には、多くの困難が立ちはだかる。
「博士と彼女のセオリー」のフェリシティ・ジョーンズが妻エルジェーベト、「メメント」のガイ・ピアースが実業家ハリソンを演じた。「ポップスター」のブラディ・コーベット監督がメガホンをとった。第97回アカデミー賞では作品賞はじめ10部門にノミネートされ、エイドリアン・ブロディが自身2度目の主演男優賞を受賞。そのほか、撮影賞、作曲賞を受賞した。
建築の美意識と映画の底流に横たわる美学。双方が共存し、215分という膨大な時間を濃密に映し出す。
元々、ルイス・バラガンの建築が好きなこともあり、夏に少々のインテリア変更を行ったこともあってか、建築への好奇心がいつになく高まった今年の夏。
『ブルータリスト』を観た後には、建築そのものを「見る」という行為にも少し変化が生まれる。光や壁、空間の沈黙の中に、映画とはまた別の時間が折り重なっている。
本作が公開された際、タイミングが合わずで観に行けなかった作品ながら、いずれはと思っていた長編の一作。
冒頭から音響の響きが素晴らしく、無機質な建築と共鳴するような重厚で冷徹な響きに囚われる。
手掛けたのはイギリス出身の音楽家ダニエル・ブルムバーグ(Daniel Blumberg)。本作でアカデミー賞作曲賞を受賞したようですが、納得のサウンド・テクスチャー。
- 「音」によるブルータリズム建築
旋律で飾らず、金管の重低音やプリペアド・ピアノの無骨な響きを“素材のまま”ぶつけることで、重厚なコンクリートや鉄骨の構造(フォーム)を音として立ち上げている。- 物理的な「空間の反響」を取り込んだ録音
残響豊かな空間で録音された歪みや空気感そのものが音源となっており、劇中のコンクリート空間と物理的に反響・シンクロしている。- 音という「設計図」から作られた映像
後から映像に音を付けたのではなく、楽曲に基づいて映像(冒頭の10分間に及ぶ序曲など)が編集されており、映画の骨組そのものを音楽が担っている。
中でも印象的だったのがその構図。
建築の骨格とシンクロし、映画の重要な外面性を担保する、高度な美学を伴ったフレーミング。
曲線と直線を的確に捉え、優雅さと硬質さを同居させた画作り。直線の幾何学的な効果が遺憾なく発揮され、建物や風景、あらゆる局面に線を意識した、モダンでソリッドな映像が極めて印象深い。
そもそも「ブルータリスト」というのがどういうことなのかというわけですが、ブルータリズムという建築様式から来ている。
ブルータリズム建築の特徴
1950年代〜1970年代の戦後復興期を中心に世界中で流行しました。
- 素材のありのままを包み隠さない化粧板や装飾を一切排除し、コンクリート、鉄、ガラスなどの素材本来の質感や重厚感をむき出し(生のまま)にします。
- 圧倒的な幾何学性とスケール感直線や箱型を組み合わせた、彫刻的で力強いフォルムが特徴です。どっしりとした威厳や要塞のような存在感があります。
- 機能性とコストパフォーマンス戦後、低予算で迅速に公共施設や集合住宅(市役所、大学、公営住宅など)を建てるための実用的な様式として世界中に広がりました。
素材の生々しい質感を活かし、無駄を削ぎ落したソリッドな構造物。
作中でもバウハウスの名が出てくるように、合理主義や生の素材の美学を基盤とし、戦後の悲劇や途方もないスケール感を克服すべく、コンクリートの巨塊として肉体化させた思想。それこそがブルータリズムの本質。
美しい構図が美しい映像を紡ぐというのは鑑賞すれば一目で理解できるところでもあり、個人的にあのヴァン・ビューレン宅でのライブラリーが完成した時の美しさは目を見張りました。
計算されつくした採光、厳格な角度、そして華麗な意匠。
その空間を目にした瞬間に、作り手の凡庸ならぬ審美眼が、まざまざと立ち現れる。

色調も印象深く、これは多くは冒頭に出ていたVistaVision(ビスタビジョン)フィルムの質感によるもの。
加えて、時代背景の光の表現が合わさることで生まれた、カラーグレーディングの巧妙さ。
深みのある色彩と、どこか柔和な空気感、スクリーン全体と幸福に調和する。
ちなみになぜビスタビジョンを使ったのかに関しての監督のコメント。
- 縦方向に広い画角(建築のスケール感)
横長すぎず縦の視野が広いため、人物の寄り(顔)と巨大なコンクリート建築の全貌を1つの画面内に同時に収めることができる。- 1950年代という時代背景との質感の一致
物語の舞台である1950〜60年代に実際に多用されたフォーマットを使うことで、当時の映画が持っていた本物のフィルムの空気感や粒子感を再現した。- スクリーンで観る「映画体験」の重み
デジタル時代の手軽さとは対極にある扱いづらく重厚なフィルムを用いることで、映画館でしか味わえない圧倒的な質量と特別感を蘇らせた。
物語は前後半でのインターブレイクを挟んできっちりと分けられているのですが、この二部構成の対比が実に見事。
一見すれば前半は理解や繁栄といった融和の軌跡であり、後半は齟齬や衰退、不和の転落激。
だが熟考すれば、この対比の構造は序盤からすでに伏在しており、それが徐々に表面化し、昇華された結果として、この壮大なアーキテクチャが完成している。
主人公のラースローはそもそもブルータル的な思想(質実)に対し、ヴァン・ビューレンは成り金的な発想(華美)。
この質実と華美の対立構造というのは登場人物たちの葛藤や、様々な事象の中で幾度も変奏される。ブルータリストという主義が、あの激動の時代において、いかなる位相に立ち、どのような運命を辿るのか。長尺の映画だからこそ、その歩みが贅沢な余白を伴ってストレートに伝わってくる。
正義や純粋さだけでは生存し得ないという真理は、現代の地平にも通じるもの。単なる主義主張だけで、この非情な世界を渡りきることは不可能。
血なまぐさい社会という荒野をサバイブするには清濁併せ呑む狡猾さも必要なのだと、嫌というほど思い知らされる。
しかし同時に、一筋の希望として提示されるもの。それはラースローがその生を賭して現出させた、圧倒的な美の存在。権力や金、地位、あるいは名誉といった世俗的な尺度では決して覆せない、神々しい威容。それを示すことで、彼は自らの芸術を結実へと導いた。それはある種の美的な勝利であり、彼自身の生を肯定する、究極の意思表示のようにさえ思える。
そんなラースローを演じたエイドリアン・ブロディは素晴らしい演技でした。
苦悩する建築家としての繊細な印影を宿しながらも、その佇まいには知的なセンスが静かに同居する。
ファッション面でも絶妙な着こなしのバランスがツボで、シャツの着こなしがピカイチ。
サイドを短めにし、トップを長めにとったヘアスタイルとも相性が良く、コートやジャケットを羽織っても端正にまとまり過ぎず、ほどよい野暮ったさを残したスタイリングに身を包む。
タバコをメチャクチャ吸うんですが、これもまた然り。
タバコとスタイルが不可分であるという幻想は、映画から喫煙に入った世代故の名残なのかもしれませんが。やめたタバコを吸いたくなるのもまた、こうした映画の成せる残滓なのかもしれません。

極めて長大な映画であるが、だからこそ許される時間という名の余白を堪能し、厳かな美の秩序に深く沈潜する。至高の一作。
ただし欲を言えば、ラストでの事柄というのは幸福へと繋がったことによる結果だったのかということは疑いの目も勘ぐってしまう。
では。
探幽:有終の美とは、自身の肯定の是非にかかる。
スクリーンで浴びた直線と光、そして深い色彩を、もう一度自分の時間の中で見返してみたくなる。215分という長さもまた、途切れない没入のために必要な建築的スケールなのかもしれない。
装飾を削ぎ落とし、形と機能の関係を問い続ける思想は、『ブルータリスト』の画面にも静かに流れている。ラースローの建築を、映画の外側にある長いデザイン史の中へ置き直すための一冊になる。

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