『真夏の光線〜伊勢原編Ⅱ〜』
外に出れば日差しの陰り、天候の移り変わりの早さがここ数日の特徴でもあり、その光の加減が色の階調をなだらかに変化させる。

沈み込むような柔和性。自然に飲み込まれる色彩というのも色そのものを引き立て、いっそうの深みを齎す。

暗雲たる雲が立ち込める中、鉄錆の景観が自然と調和する。外壁の褐色と支柱の黒檀が生と死の狭間を行き来するかのよう。褐色の階調が物質の質感を誤認させる。

空を見上げると、大粒の雨。その表情をそのままに切り取るように、露出を上げ、光量を無碍に取り込み、神秘性のある黒白のハイライトで補う。雨粒とフレアの共存が驚くほどの白さを称え、黒墨は沈む。

その後雨宿りを兼ねていると、直ぐ様雨は止み、十分な湿度を伴い、物質に執拗に纏わりつくかのような塗装を施す。

懐かしきペプシのロゴと配色。反対色であっても、退色することで角が取れ馴染むというのは、何事も一点に収束する摂理に思えてならない。

また陽が出てきた。
陰陽に色濃く縁取られ、コントラストを強めに出す。

外壁のこうした文様も遺跡のよう。無作為であればこそ目に止まり刺激される。痕跡の足跡こそが遺跡であるならば、あくまでもそこに意図が介入してはならない。

さあ、入口にして出口。
自然との一体感、剥落と損壊のその先へ。

つづく。
廃墟という言葉の向こう側には、損壊や忘却だけではなく、時間によってしか生まれない色彩や質感があるのかもしれない。そうした景色をもう少し広い視野で眺めてみると、自分が見落としていた剥落の意味も少し変わってくる。
伊勢原の片隅で見た錆や剥落も、世界のどこかにある巨大な廃墟と、時間に侵食されるという一点では繋がっている。規模は違っても、人工物がいつか風景へと戻っていく過程には、どこか同じ表情がある。

