『真夏の死』
【新装版、新・三島由紀夫】
喪失の底で、なぜ私は狂わないのだろう――。
「古い自作を自分の手で面倒を見てやりたい」と記した短編集。〔新解説〕津村記久子海難事故で幼い子供を失った夫婦。不幸に直面した衝撃と怒り、悲嘆からの逃避、忘却のはじまり、そして──喪失の後の心情を克明に追う「真夏の死」のほか、川端康成に評価され作家デビューのきっかけとなった「煙草」、レズビアニズムを扱った先駆的で官能的な「春子」など、短篇小説ならではの冴えが際立つ11篇を収録。著者による解説も付した自選短篇集。
やはり圧倒的。短編集でありながら、どの作品の底流にも、夏という強烈な光の一点へと収束していくような独特の気配が漂っている。もちろん、すべての作品が直接「夏」を描いているわけではない。それでも、収録作を読み進めていると、生命の濃さと、そのすぐ隣にある死や喪失、あるいは説明のつかない不穏さが、真夏の陽射しのように全篇を照らしているように感じられる。その感覚が、夏の気分の稠密に重なる。
気になる短編について少しづつ。
まずは「春子」。
女性の描き方の優美さ。そこに介在する感情の揺蕩いが、ため息の出るような筆致で描かれる。乾いた美しさ、しとどに流れ落ちる湯気、些細な椿事が許す変化。三島が女性の内心やその佇まいを描く際に駆使する語彙の稠密さは、本当に見事。
ただ美しいだけではない。その優美な文章の下には、感情がほんのわずかに均衡を崩していく瞬間が潜んでいる。三島は人物の心情を直接叫ばせるのではなく、その仕草や室内の空気、身体の感覚を通して、いつの間にか読者の側へ感情を滲ませてくる。
つづく「クロスワード・パズル」。
終わり方がきわめて秀逸。釈然としない結末であるにもかかわらず、その切れ味はなぜか驚くほど鋭い。序盤からの着実な積み上げを経て至る結論。それが曖昧模糊としていながらも、ズバッと一閃するように人間の感情の核心を射抜く。
一個の短編として、徹底的に磨き上げられた言葉の選択。その洞察力と表現の意匠には、ただ圧倒される。
答えがすべて埋まったように見えて、最後にひとつだけ空白が残される。その「埋まらなさ」こそが、この作品の魅力なのかもしれない。物語としては終わっているのに、人間の感情だけがきれいに解答されることを拒んでいるかのような。
そして表題作、「真夏の死」。
いかめしい静けさから始まり、事件を経て主人公・朝子の心に生じる変化。一度壊れてしまった関係や日常は、二度と同じ形には戻らない。その喪失感と、取り返しのつかない事態に直面した者にしか宿り得ない、狂気にも似た後悔。
なぜこれほどの感情を言語化できるのかと、言葉を失う。
真夏という灼熱の季節がもたらす生命の肯定感と、突如訪れる死のコントラスト。むしろ生命がもっとも濃く、世界がもっとも眩しく見える季節だからこそ、そこに刻まれる死は残酷さを増す。ラストの、あのズドンと胸を貫く一文の重み。
筆舌に尽くしがたい表現の魔力がある。
「花火」もまた、夏の温度感が伝わる名作。
華々しい花火という意匠と、他人の空似という日常の歪みを組み合わせ、その隙間に怪奇を忍び込ませる。「似ている」という、本来ならばありふれた偶然や日常的な感覚が、いつの間にか得体の知れないものへと変質していく。どろどろとした陰と陽の対比が、明確な説明なしに、かえって静かな恐怖をかき立てる。
華やかさの裏に禍々しさを潜ませる、夏ならではの不穏な均衡。
書き手の圧倒的な技量が、そのまま文章の凄みとして現れている。
「貴顕」、あるいは「葡萄パン」。
目をつぶっていてもなお、そこに湛えられる生の気配。たとえ自分の身に何が起ころうとも抗えない、運命という名の冷徹な法則。
ここでも印象的なのは、人間が自らの意思だけではどうにもできない力の存在だ。生きることへの執着や欲望があったとしても、世界は必ずしもそれに応えてはくれない。その無慈悲さが、三島の文章によって奇妙なまでの美しさを帯びている。
ラストを締めくくる「雨の中の噴水」。
夏の終わりと足取りを共にする、若気の至り。その滑稽さと儚さ。雨の中の噴水という、水の一点を通して見え隠れする若者たちの躍動。
頼りなくも瑞々しいその行いには、真夏が去った後の冷ややかな空気とともに、いわれのない皮肉が交じる。
この作品が巻末に置かれていることにも、個人的には意味を感じてしまう。『真夏の死』という強烈な題名を持つ作品集が、最後には「夏の盛り」ではなく、どこか季節の移ろいを思わせる雨の気配のなかで閉じられる。
雨の日に読んだこともあり、その余韻は深く、美しく心に澱りのように沈殿していく。
総じて、これらすべての物語の畳み方。
事柄としての明白な結末を提示すること以上に、そこにあるのは容赦のない、そして鮮烈極まる切れ味。だからこそ、閉じられた本の向こう側に広がる余白は、どこまでも深く、不穏な豊かさに満ちている。
とりわけこの短編は、驚くほど鮮やかに物語を閉じるのが印象深い。それはすべてを説明し尽くすということではない。むしろ、物語を閉じる瞬間にこそ、読者のなかではじめて別の物語が動き出すというような曖昧なモノ。その余白の残し方に、この短編集の凄みがあると感じる。
人生の一瞬一瞬に宿る、崩れやすい仮構の秩序。
三島の描く夏は、いつでも眩しく、そしてどこまでも残酷。
生命がもっとも輝いて見える場所で、その輝きは同時に、死や喪失の影をいっそう濃くしていく。だから『真夏の死』を読み終えたあとに残るのは、単なる夏の記憶ではない。眩しすぎる光を見たあと、しばらく目の奥に残り続ける残像のようなものなのでしょう。
探幽:余白に切れ味を残す筆致の鋭さ、夏と抜群の相性を残す
34乾いた美しさ
44湯気がしとどな〜なだれおちる。
67些細な椿事がゆるす
147そのポーズは思い出の
179そのいかめしい静けさは限りなく
190われわれはこういうとき
198朝子は気づいて〜感じるのであった。
228朝子には事実〜判然とする。
230ああいう事件に〜ではない。
270彼にとっては〜思われた。
300ああ、たとえ自分の〜ならないのだ。
324目をつぶっていても〜湛えている。
『真夏の死』の人物たちに漂う、言葉になりきらない感情や身体への意識をもう少し深く追いたくなったとき、『仮面の告白』は別の角度からこちらを見返してくる。そこでは「語ること」そのものが、すでにひとつの仮面になっている。
『真夏の死』で感じた、あまりにも美しいもののなかに潜む不穏さは、『金閣寺』ではさらに巨大な形を取る。美しいからこそ壊したくなるという倒錯した感情もまた、三島文学の底を流れるひとつの水脈なのだと思う。


