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探幽訪真:深く、自由に、偏りなく潜る

なぜ『カンガルー日和』の軽やかさは、私たちの日常を静かに侵食するのか

『カンガルー日和』

1983年9月、平凡社より刊行された。表紙の絵と挿絵は佐々木マキ。1986年10月、講談社文庫として文庫化された。

収録された作品はすべて、伊勢丹主催のサークルが会員に配る『トレフル』という雑誌に連載されたものである。『ハッピーエンド通信』を通じて村上と仕事のやりとりがあった雑誌編集者の加賀山弘が『トレフル』に移り、「その関係で連載を頼まれた」という。

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先の余韻から村上文学への渇望を癒すべく、手に取った本著。

短編集ゆえの形式的な軽やかさがあり、標題も警抜。そもそも日常では決して用いない言葉の組み合わせ。これこそがタイトルだと思わせるその意匠に、佐々木マキ氏による表紙絵も鮮烈な印象を与える。

とにかく村上文体を読みたいと思っていた入口としては最良のチョイス。

村上春樹の短編は、短くともその世界観が峻厳に統一されている。世界の認識の位相がそう思わせるのか、あるいは語彙の選択による必然なのか。

雑誌掲載の断片を編纂したものであるため、主題も設定もまちまちである。 それなのに、不思議と統一された独特の体系性が浮かびあがる。

日常に伏在する素朴な疑念や見立てを、寓話的な虚構の次元へと落とし込む。けれどもそれは表面上の装いであり、だからこそ、ふとした既視感の中に不気味な幻影が漂う。だが、その実相は……。

隠し味という名の意匠の施し方が巧みだ。読者を一瞬にして異質な位相へと転移させる、独自の語り口。

気に入った短編もいくつかある中、そのどれもが「なるほど」と戦慄的な納得感を強いるものだった。ありふれた日常の断層に潜む発見のようでもあり、その背後にある真意という名の深淵が時折、垣間見える。

要所に配された文化的な記号も、長編ほどの濃厚な重層性を強いることなく、優雅なる中庸を保っている。

表題の「カンガルー日和」という選択の妙も素晴らしい。

日常の言語体系を蹂躙することはないが、誰かとの会話に不意に現れそうな、ある瞬間の饒舌な生をそのまま切り取ったかのような言葉選び。

カンガルーというモチーフと、短編で描かれる表題の多義的な含意。日常の些細な気付きの中にこそ、生の本心の断片が仮構されていることを、改めて確かめることになった。

では。

 

探幽:断片の含意は細部に宿る

 

22あなたにとって〜そういうことなのだ
82ところで君たちは
97どうか鋭くあろうと
110通りにはバターの焼ける
134要するに彼女たちの
137ページ画像をtシャツに

真夜中に腹を空かせた夫婦が辿り着く奇妙な現実感は、日常のすぐ裏側にぽっかりと開いた穴の存在を思い出させる。『カンガルー日和』で味わったあの不確かな揺らぎの余韻は、次の物語でも静かに尾を引いている。