生涯において初めて室内を飾るに足ると直感した、追憶の深淵に刻まれた一枚。
2013年。かなり日は経ちましたが、プリントではあるが紙面を入手したので額装してみることに。
印画紙ならぬ質感でありながら、おおむね良好。
額はイメージとしてホワイトで統一したかったので、いつかのディグで入手したものを使用。細縁、金属の質感がプリントの非日常性とも相性が良く、冷たさが混在する。

写真であって写真で無いようなバランスが好きで、片田舎を撮ったとは思えない風景が壁面の空白を埋めているのが印象的だった。
かつてある雑誌の意匠の一部として、インテリアと不可分に融合していたその一枚。審美眼の揺らぎの少なさを感じ始める昨今、不意に訪れた想起という名の恩寵に従い、改めて対峙したその作品は、やはり筆舌に尽くしがたい充足で満たされる。
ここで、ジェラール・バーン(Gerard Byrne)についてのこの写真の補足を。
夜の闇に、不自然なピンクや黄緑の色彩で浮かび上がる木々。
アイルランドの現代美術家ジェラール・バーン(Gerard Byrne)による写真シリーズ『A Country Road, A Tree. Evening.』は、現実と虚構の境界を揺さぶる作品。このシリーズの根底には、20世紀を代表する劇作家サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の不条理劇『ゴドーを待ちながら』(Waiting for Godot)に登場する、あまりにも有名な舞台ト書き(指示書)が横たわっています。
「一本の田舎道、一本の木。夕暮れ。(A country road. A tree. Evening.)」
バーンはこの極限まで削ぎ落とされた一行のテキストを携え、ベケットがかつて歩いたアイルランドのダブリン山地(Dublin Mountains)やウィックロー州(County Wicklow)周辺の田舎道を実際にリサーチしました。そして、言葉の条件に合致する「道と木」のバリエーションを、何箇所にもわたってカメラに収めていったのです。
一見、デジタル加工のようにも思える妖艶な光の正体は、作家が夜の現地に自ら持ち込んだ本物の演劇用スポットライトです。
現実の風景(ドキュメンタリー)の中に、演劇という「嘘(フィクション)」の光を容赦なく侵入させることで、目の前の景色をまるで劇場の舞台セットであるかのような、割り切れない空間へと変貌させています。
さらにバーンは、ベケットが「どこでもない抽象的な場所」として書いたト書きに対し、作品タイトルにはGPSで特定できるほど過剰で具体的な地名(例:Somewhere between Tonygarrow and Cloon Wood…)を付与しました。
言葉が持つ「曖昧さ」と、写真や地名が持つ「冷徹な記録性」。そのギャップを行き来しながら、本作は私たちに「いま見ている現実は本物か」と静かに問いかけてきます。
現実と虚構の邂逅。
当時の私が目撃していた「現実」と、空想という名の「虚構」が出会い、それが光画に対する耽美的な渇望を惹起したことは疑いようもない。
感慨深い。
額装により空間の彩りが変容する様というのは良いものだなと。
では。
探幽:虚実入り混じるというのは原点にして羨望
「一本の田舎道、一本の木。夕暮れ。」という、演劇の歴史を塗り替えたあまりにも素っ気ない一行の指示書。その言葉が持つ、すべてを削ぎ落としたミニマリズムの肌触りを、文字の並びのなかに確かめてみる。
