『ウイ・アー・ザ・ワールド(スペシャル・ロング・バージョン) WE ARE THE WORLD [12" Analog LP Record]』

今回、映画『Michael マイケル』を観て久々に聴きたくなりまして。
1985年という時代が残した、あまりにも巨大で、あまりにも純粋な祈りの記録『We Are The World』の12インチ・アナログ盤。
この楽曲と初めて出会ったのは、中学校の英語の授業だったと思う。その当時は「いい曲だな」くらいの感想で、さほど響くものがあったわけでもなかった。だが、大人になって改めて聴いたとき、この曲の持つ深みや重み、そして魂に訴えかけてくる圧倒的な熱量に気付かされる。
当然、美しいメロディーラインは外せないところだが、それ以上に何層にも重なるアーティストたちの魂の籠もったボーカルが響き合うからこそ、そこに筆舌に尽くしがたい「豊かさ」が生まれている。
1985年、当時は多くの才能が手を取り合い、こんなにも素晴らしいプロジェクトが成し遂げられた。翻って、今の社会を見渡すとどうだろう。様々なノイズに没頭し、断定的なバッシングや「総意」の捏造が横行する現代において、自分たちは本当の豊かさを得られたのだろうか。
特にマイケル・ジャクソンの歌声が聴こえた瞬間、真っ先に頭に浮かぶのは”音楽”という二文字そのものだ。自分自身が最初に彼を認識したのは、東京ディズニーランドのアトラクション『キャプテンEO』での体験だった。生まれ年に誕生したあの17分間の映像と楽曲に体現された、誰にも出し得ないハーモニーと存在感。その残像は今も深層に刻まれている。
彼は聖人君子のファンタジーを生きる一方で、早熟の天才ゆえの孤独や強権的な父の呪縛という暗部を抱えていた。そんな彼がネバーランドを夢見た少年の心のままに放った優しさが、このメロディーの根幹に流れている気がしてならない。
B面は、意外にも自分の好みに刺さるインストゥルメンタルだ。
シンセサイザーのきらびやかな瞬きの背後に漂う、音の揺らぎ。まるで「海の深くに潜っていくような深淵のサウンド」の背景には何があるのかと思わせてくれる。
ここで改めて存在を強く感じるのが、名プロデューサーであるクインシー・ジョーンズの采配。A面でマイケルたちの「個」の熱量を引き出した彼が、このB面では音の粒子そのものに物語を語らせている。
12インチ盤ならではの深いカッティングが、ダイナミックな音域の振れ幅を実現している。耳を澄ませば、上下の幅をたっぷりと取ったサウンドメイクの緻密さが、デジタルのクッキリした記録とは違う、フィルムのような生々しい手触りで伝わってくる。
音楽というのは本当にいい。それは不確かな現実を上書きしてくれるような、圧倒的な”内的真実”を与えてくれる装置なのだと再確認させられた。
見放されてしまったら希望はなくなる、だからこそ信じて行動しようという、極めてシンプルで堅固な意思。その「生の核心」が、この溝には刻まれている。
日常のノイズを叩き潰すような、さらに濃密な体験を。これからも、この深い音の先にある真実を堪能したい。
では。
映像に刻まれたアーティストたちの表情や呼吸の乱れを目にするとき、音溝から溢れ出ていた熱量の正体が腑に落ちる。あの奇跡的な夜の空気を、視覚と音響の両面から手元に留めておくための記録。
あの夜、才能たちがひとつの部屋に集うことで生み出された栄光と、その後に訪れた音楽史の変容。楽曲の背景にある複雑な時代性を紐解くことで、耳に届くメロディーの奥行きはさらに深く、濃密なものになっていく。

