『A2 完全版』

オウム真理教(現アレフ)の広報部副部長に密着し、オウム事件の本質に迫った森達也監督のドキュメンタリー「A」(1998)の第2弾として2002年に公開された「A2」の完全版。
教団施設を追われて日本各地に拠点を分散して活動している出家信者たちと地元住民との対立や融和、右翼との交流といった社会との軋轢を描き出す。完全版では、02年当時に諸事情でカットされた部分を全て再現した。
京都国際映画祭2015で上映され、16年6月、森監督の新作ドキュメンタリー「FAKE」の公開を記念して、東京・ユーロスペースにて初の劇場公開。
『A』から4年。
様々なことがはっきりとし、それでも宗教を信じ活動するオウム。
相変わらずの緊迫感が漂うタッチと、当時の世相を反映するような人々の視線。
同調圧力が強いと感じてしまう部分はいっそうの拍車を掛け、国家権力やマスコミといった大衆の意志以上の恣意的な枠組みを感じてしまう。
どこにいても場を追われ、肩身の狭い思いをするオウム勢はそのままであって、その周囲の一般市民は意外にも交流を深めるうちに親交に変わっていったりもする対照的な構図が何ともいえない世相の不思議を反映するところでもあり、奇妙な関係性がそのままに映し出される。
昨今だとSNSなどでのバッシングや関わりの無いものですら絡んでくるリアルの有様。
事象と人を切り離して捉えられないのか、それとも叩くという行為そのものを快感としているのか。
声を挙げることは重要だと思うし、実際に多勢に無勢、徒党を組まなければ立ち向かえないという大衆の論理もわかる。
その過程において自らの頭で考え、発言し、行動するという骨子が抜け落ちてしまうところに問題が潜んでいると思うわけで、それが露呈してしまうのは絶対的な悪と決めつけてかかる方が好都合だからなのではと勘ぐってしまう。
マスコミによって報道されることの真実がどこにあるのか、警察の行動もそう。こうしたドキュメンタリーを観れば観るほど、疑念が生じる。
右翼との衝突場面においても、一見すると悪に見えるのは右翼側であって、それは行動の暴挙さや強硬さ。風貌のそれらも加わり、ぱっと見では良き行動をしているようには到底見えない。
これが事実であり、実際に行っている行動が正しいかどうかは分かりかねるが、全てが悪であり、一概に危険視するというのもどうなのかということは追ってみれば少々見解も変わってくる。
警察との折衝でも理に適った会話をしているし、その後の内部に入ったカメラから見えてくる彼らの行動というのは目的はいずれにせよ、事の解決に動いているようには見える。
しかも、そのリスクを取って行動しているという点においては、警察のそれとは大きく異なるところでもあり、守られるものが無いから、自分たちで武装するということもわからんでもない。
マスコミも同様で、オウム信者がテレビ報道や新聞を目にし、「これだけ適当な情報が流れるとどうしようもない」というぼやきからして、実際とは異なるところがあるのだろうと思うし、偏重の意志が無いとは到底見えないというのが正直なところ。
より万人受けし、喜ばれる記事を。
本来の目的が何であるのか、そうでない者達の声というのはどこにあるのか。
代弁者としての真実でなく、歪められた事実を好む。
オウム信者の人間性の根幹は知れないが、この映画を通して見える人間味のようなところからは本当に凶悪な集団には見えてこないという衒いもある。
まあ、羊の皮を被った狼というように、これが偽りであり、本当はもっとグロテスクな側面もあるのかもしれないわけですが、ある側面だけを見て判断するのは個人で良く、集団で、総意を捏造する必要は無いように思う。
カメラで捉えられた視点というのは森さん独自のものであり、そこに作為が無いとは思わない。
それでも、偏った視点よりもよっぽどいいと思うわけで、とにかく真実を多面性を出来る限りフラットに捉えてたいと思うのは、大衆の論理に巻き込まれてしまうのを良しとしない自身の心情も相まっているのかもしれない。
食べ物や、トイレ、ゴミなど、汚い場所や箇所にフォーカスする視点というのは彼自身が物事の美的な箇所のみに目を向けないという意思表示でもあり、その側面が誰しもにあるという表れにも見える。
終盤でのやりとり、森さんと荒木さんとの会話を通しても直視するのは、森さんという人物を媒介として人々が本当に思うオウムへの疑問を投げかける形に見え、それに答える荒木さんもまた自身の抱く思いが表情などにも良く表れていたように思う。
信者と元同級生の関わりにおいても、そうした辛辣さと親密さが滲み出るようなところもあり、元々は同志だった人間が結果的に別々の道を歩むというのも現実ではそう珍しくも無い。
人間の中にある感情や心境などというのは一方的なものではなくて、多種多様、玉石混合の中あるという当たり前の事実に気付かせてくれるという意味でも事件の後日談としても、自らに問いかけねばならぬ事が詰まっているように思えてくるから不思議なものだ。
ドキュメンタリーの力を知った『A』『A2』。
森さんの作品は面白い。そして事実は小説より奇なり。
では。
私たちがなぜ「総意」を捏造し、徒党を組んで何かを叩いてしまうのか。その心理のからくりを紐解き、集団という怪物から「個」の佇まいを取り戻すための、静かな手引書のように思える。
カメラが捉える世界には必ず作り手の作為があり、だからこそ多面的でフラットな視点が必要になる。映像という歪んだ窓を通して真実の断片を凝視するための、もう一つの批評の眼がここにある。


