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『黒牢城』が暴く、歴史という名の巨大な密室と「何を信じるか」という底なしの問い

『黒牢城』

ポスター画像


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「スパイの妻」「クリーピー 偽りの隣人」などで国内外から高く評価されてきた黒沢清監督が自身初の時代劇に挑み、第166回直木賞と第12回山田風太郎賞をダブル受賞した米澤穂信による同名ミステリー小説を映画化。

荒木村重は織田信長の暴虐なやり方に反発して謀反を起こし、有岡城に立てこもる。織田軍に包囲され孤立無援となった城内で、村重は血気盛んな家臣たちを抑えつつ、妻・千代保を心の支えに、城と人々を守ろうと苦心していた。そんな中、城内で少年が殺害される事件が起こり、その後も怪事件が続発する。容疑者は密室と化した城内にいる家臣や身内の誰かで、城外には敵軍、城内には裏切り者という状況に、誰もが疑心暗鬼に陥っていく。追い詰められた村重は、信長の使者として説得に訪れ牢に囚われた天才軍師・黒田官兵衛に協力を仰ぎ、事件の解決に挑む。

城主・荒木村重を本木雅弘、天才軍師・黒田官兵衛を菅田将暉、村重の妻・千代保を吉高由里子、村重の腹心・荒木久左衛門を青木崇高、若手の家臣・乾助三郎を宮舘涼太(Snow Man)、事件の目撃者である狙撃の名手・雑賀下針を柄本佑、村重の隠し刀として暗躍する郡十右衛門をオダギリジョーが演じる。2026年・第79回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門出品。

ミステリーという建付けをした”信仰に対する問い”とも取れる。

黒沢清作品は常に付き纏う、どことない不穏さと不気味さが魅力的だと思っているのですが、本作もその体は崩れておらず。

時代劇は初めての試みとのことですが、意外に相性も良さそうで、現代における過去を見る時代劇のあり様として、ある種の切り口を提示したように思えた一作。

舞台となるのは有岡城。どんなところかというと。

有岡城跡は、JR伊丹駅の目の前にあります。「日本最古の総構え(城だけでなく城下町全体を堀や土塁で囲む防御スタイル)」の城としても歴史的に有名で、映画のあの「逃げ場のない、巨大な密室」という狂気的なシチュエーションを際立たせる最高の舞台設定になっています。

軸となる荒木村重という人物は知らなかったのですが、知らずとも人柄や背景は分かるように描かれており、戦乱の世における独特な箇所を切り取ったなというところ。

原作は米澤穂信氏による同名のミステリー小説。この『黒牢城』の凄いところは「歴史の事実を1ミリもねじ曲げていない」点にあるらしい。私自身、こちらはまだ未読なので機会があれば是非読みたい。

史実の隙間を1ミリも違えずに埋めていく精密な筆致が、映画が描き出した不穏な解釈の土台にある。映像が削ぎ落としたディテールを言葉の層から補完するとき、あの密室の解像度はさらに深まるのかもしれない。

ちなみに黒沢監督曰く、「原作が存在している方があり得ないような物語でも表現し易い」とのことで、だからこそこういった物語の間を埋める解釈を黒沢流に味付けできるのかなと思えてくる。


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物語ですが、冒頭から淡々と事は進み、速攻で黒田官兵衛は牢獄に。

そこからの展開は『羊たちの沈黙』そのもの。戦国時代の泥臭い籠城戦を描いているはずなのに、漂う空気は上質なサイコサスペンスのそれ。土牢の格子を挟んだ村重(本木雅弘)と黒田官兵衛(菅田将暉)の視線の応酬は、まるでレクター博士と対峙するクラリスのようで、スクリーン越しに息が詰まる。

格子越しに交わされる視線と対話の緊迫感は、あの地下牢の記憶を呼び覚まさずにはいられない。戦国の城に漂う狂気の輪郭を、この至高のサスペンス映画の呼吸からもう一度手繰り寄せてみたくなる。

相変わらずというか黒沢節が随所に盛り込まれていて、なんとなくどこに連れていかれているのか、何を問われているのかがわからないような構成。

端的に見ると起きている事件的なミステリーを鑑みればいいのだと思いますが、それ以上に村重の心中が気になって仕方が無いような撮り方になっているのが印象深い。

どの角度から観ても村重の心中に揺らぎがあるように伺え、察することが出来ない。

映像自体のロングショットもその効果を助長させているようにみえ、ポツンと引きで見る画が不思議な空虚さを醸し出す。

過去も現在も、抱えているような悩みは同じようなもので、その地続きの悩みが現代と結合する面白さがある。

活劇にしろ、事件にしろ、終始淡々と描かれており、全ての出来事が取り留めも無く行われているように見え、起伏を感じない。それにより人間模様や心情へのフォーカスが高まるんですよね。

不穏さとも繋がるところでもあり、心ここにあらず的な画作り、演出がいっそう村重の心理を浮き彫りにしていく。

それを見事に介在するのが黒田官兵衛であり、千代保であり。

役者の使い方も豪華な並びながら、それを一切表に出さないようなさりげなさ。無駄遣いと言えばそうかもしれないですが、この使い方だからこそ生きる良さもある。

映像にしてもそう。見せた方が外連味が出るような時代劇の要素を廃し、構図も人物にフォーカスしたり俯瞰したショットが多いというのも淡々とした一興として描いていると思えば納得もいく。

では何を描くのか。

”信仰に対する問い”というのが根底に横たわっているのではないかと思ったわけです。

というのも村重のやり取りには終始違和感が付き纏い、当初は史実にもある村重の行動の不明瞭さからくるものだと思っていたのですが、よくよく観ていくと村重の心の揺らぎ、つまるところ、生きていくうえでの大義や忠義、信念や情といった部分。何を信じたらいいのかという迷いが、何を信仰するかという問いになっているのではと。

黒田官兵衛に言われた「誰も相談する人もおらず・・・」というような会話が最も端的に示しているようにも見える。

妻の千代保は極楽への執着として進まずともそれは得られるということを拠り所にしている様子が描かれ、黒田官兵衛も息子へのそれを、終盤での雑賀下針(柄本佑)や郡十右衛門(オダギリジョー)も義に対する敬意を示し、それぞれの道を行く。

信仰するというと大げさに聞こえるかもしれないけれど、結局人は何かを拠り所に、目指す何かが無ければ局面での選択が鈍るということを示しているようにも見え、逆に言えばそれがあるから頑張れる。

物語の結末は史実にもあるよう、城を出ていく村重の姿で幕を引くわけですが、この哀愁のあるような、この後を想像させるような余韻も良い。

基本、城の中だけで起きるミステリーという構造と心理戦。外側ではミステリー、内側では心情という時代劇にしては斬新な切り口でした。

では。