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信念か、それともただの欲か。『グレート・ウォリアーズ 欲望の剣』が突きつける、神なき世界の歩き方

『グレート・ウォリアーズ 欲望の剣』

「ロボコップ」「スターシップ・トゥルーパーズ」の鬼才ポール・バーホーベンが1985年に手がけたアクション。

戦乱が続く中世ヨーロッパ。領主アーノルフィニに雇われた傭兵マーティンは、仲間たちとともに敵の城塞を攻略する。しかしアーノルフィニは約束の報酬を払わずにマーティンたちを追放してしまう。復讐を誓ったマーティンたちは手始めに荷馬車を襲撃し、小さな城を占領する。戦利品の中には、アーノルフィニの息子スティーブンの許婚であるアニエスがいた。スティーブンはアニエスを救うべく、マーティンたちの立てこもる城に攻め込むが……。傭兵マーティンを「ブレードランナー」のルトガー・ハウアー、アニエスを「ルームメイト」のジェニファー・ジェイソン・リーが演じた。「スピード」で監督デビューする前のヤン・デ・ボンが撮影を担当。

ファンタジーと思いきやのリアルファンタジー。

中世を舞台にしつつ、となると多くの作品では誇張や外連味、往々にして英雄譚やファンタジーに寄るのが作品の常だと思うのですが、バーホーベンにかかればそうはならない。

中世という時代を詳しく知るところでは無いので正確かどうかはわからないが、そうであったと思わせる史実性を帯び、理解しうる人間の本質的なエグ味のようなものが顔を出す。

普通に考え、現代ですら先進国を除いた地域での暮らしは安泰とは切り離されているわけで、そう考えると数百年前の戦乱の世に生々しさが介在しないわけはない。

いつもながらに序盤から壮絶なシーンをぶっ込んでくるのは当たり前で、むしろこの作品の公開時、1985年のオランダからアメリカへと移行する最初の作品というのも転機として興味深い。

舞台は1501年西ヨーロッパ。

貴族と傭兵によるやり取りと裏切り、復習。名作海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら霞んで見えるほど圧倒的欲にまみれた混沌世界。

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食欲、性欲、金欲、権力欲、あらゆる欲をむき出しにしたような各人の行動にぞっとさせられるところでもあり、本当に欲そのものとして行動する様に恐怖すら抱く。

人はこうも本能的にはおぞましいのかと。

序盤にあるスティーブンとアグニスのやり取りが理性と欲望の葛藤を対比しており、それが成立するのだろうかという構図が付き纏う。

その過程としての心変わり、表面上の取り繕いがエゲつないレベルで繰り広げられ、もはや生きるために行動を選択し、理性と欲望が入り乱れる。

手段と目的が混在するというのにも似ており、どちらを第一義とするかということにも疑問符が付きまとう。

最終的に人は”自分本位”なもの。

どれだけ偽善ぶろうと、理性的であろうと、最終的に自身の欲に突き動かされてしまう。

その象徴として各登場人物それぞれの欲が表面化するのが本作であり、現実の我々ということでもある。

特に怖いのがアグネスの存在であり、女性の本質を捉えたかのような絵に描いた八方美人の立ち振る舞い。

表情にしろ言動にしろ、その場その場をサバイブするため、裏切りを厭わない。裏切りという概念すら失念しているのではないかと思ってしまうほど自然とこなすあらゆる事象に対し、日常で見る女性の根源的な恐怖と紐付けられる。

女性の共感力、環境適応力というのは本能的に備わっている資質なのだと思うのですが、客観的に観る視点からすると、こんなにもおぞましく映り、淡々とそれをこなせてしまうのかと驚嘆してしまう。

男性のそれはあくまでも外向きに、女性のそれは内向きに。

無意識レベルでそれを行っているのはなぜなのかとずっと疑問ではあったのですが、本作を観て納得してしまったという。

これがデフォルメされた格好であったにせよ、本質とのブレは少ないのではないかというのは女性職場にいる身からしても常々思う所であり、故にその真実味に納得の妙がある。

映像的なそれらの見せ方も非常に良く出来ており、アグネスの視線やしぐさなどから感情の機微をつぶさに見てとれる。

演じたジェニファー・ジェイソン・リーは当時23歳ですか。見事な妖女っぷりで、見た目にも美しく、妖艶な様子が役柄とマッチしている。

これまた変わらずですが、描写に対する遠慮の無さも健在で、当たり前のように映し出される死体や損壊表現。

当時を思えばそれも当然のことで、現在が死と遠くなっているからこそ、死が近くにあった時代のズレを顕著に映す。

結局帰結するところは一緒なのですが、大きな力(権力や神)ですら絶対的なものでは無く、あくまでも糧として、拠り所としての機能しか持ちえないというのが悲しいかな人間の生きる上での性でもあり、最終的に自身の考えや決定に基づいて判断を下していくしかないという至極真っ当なところに落ち着くわけです。

科学に頼ろうと、理性に頼ろうと、欲に駆られようと、愛に生きようと、義に生きようと、それぞれが良しとしたことを真に貫けるかどうか、その先に天国が待っていようが地獄だろうが、結果は誰にもわからないということです。

間違いが無いのは「後悔に立たず」という言葉にもあるように、自分が自分を納得させる理由を持ち得るか。信念にいかに従事するかということだけが重要になるのではないでしょうか。

それにしてもバーホーベンはこうした人間の深層的な心情を顕在化させるのが上手いですよね。

これが転機になった作品というのも頷ける。

余談としてその転機となった理由を最後に少々。

本作は、オランダ出身のポール・ヴァーホーヴェンが初めて全編英語で挑んだ、まさにハリウッド進出への「架け橋」となった作品である。母国での成功を携え、より巨大な表現の市場へと漕ぎ出すための試金石。そこには、新天地を見据える監督の確かな野心が息づいている。

特筆すべきは、これが単なる商業映画への妥協にとどまらず、彼の独自の作家性を確立する契機となった点だ。それまでのオランダ映画時代に研ぎ澄まされた、過激な暴力、露骨な性、そして冷徹なまでに冷めた人間観。それら泥臭くも強烈な「ヴァーホーヴェン節」が、中世騎士道物語というエンターテインメントの枠組みに見事に落とし込まれている。

残酷さと皮肉を織り交ぜたこの唯一無二の演出スタイルは、のちの『ロボコップ』や『トータル・リコール』の狂騒的な成功へと地続きでつながっていく。作家性をいささかも殺すことなく、メジャー市場という荒波のなかで戦い抜けること。それを自ら証明してみせた本作は、彼のキャリアにおける決定的な分岐点だったと言えるだろう。

では。

アグネスの視線ひとつで感情の機微を雄弁に語らせる、あの卓越した画面作りの秘密。ハリウッドという巨大な表現の市場で戦い抜くための視覚的サバイバル術の輪郭が、ここから見えてくるかもしれない。