『ハムネット』

「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督が、シェイクスピアの名作戯曲「ハムレット」の誕生の背景にあった悲劇と愛の物語を、フィクションを交えながら描いたドラマ。北アイルランドの作家マギー・オファーレルが2020年に発表し、英女性小説賞と全米批評家協会賞を受賞した同名小説を映画化した。
16世紀イングランドの小さな村。薬草の知識を持ち不思議な力を宿したアグネス・シェイクスピアは、作家としてロンドンで活動する夫ウィリアムが不在のため、3人の子どもたちと暮らしている。ペスト禍のなかで子どもたちを守り奮闘するアグネスだったが、不運にも11歳の息子ハムネットが命を落とし、家族は深い悲しみに包まれる。
「ウーマン・トーキング 私たちの選択」のジェシー・バックリーがアグネス、「aftersun アフターサン」のポール・メスカルがウィリアムを演じ、「奇跡の海」のエミリー・ワトソン、「ブルータリスト」のジョー・アルウィンが共演。スティーブン・スピルバーグとサム・メンデスが製作に名を連ねた。第98回アカデミー賞では作品賞ほか計8部門にノミネートされ、ジェシー・バックリーが主演女優賞を受賞した。
クロエ・ジャオ監督作品ということで観に行ったのですが、相変わらず映像表現が素晴らしい。
美しい景観と質感を伴ったグレーディング。
現代でなく、あのような時代だからこそいっそう引き立つというのもあって、とにかく終始美しい。
過去作もですが、映像を美しく捉え、表現するのが上手いんですよね。
そんな本作、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』を元にしているわけですが、タイトルは『ハムネット』。
冒頭にも書かれているのですが、解釈としては当時どちらでも呼び名としては構わないというのがあったようで。
そもそも、シェイクスピア、名前だけは知っているものの、どんな人物で、なぜ有名なのかを全く知らない。
ということでその辺の補足から。
1. ウィリアム・シェイクスピアとは?
16世紀末から17世紀初頭のイギリスで活躍した、史上最高の劇作家・詩人です。人間の真理を描く天才: 愛、嫉妬、野心、復讐といった、時代を問わない人間の感情を鮮烈に描きました。
言葉の魔術師: 彼が作った造語やフレーズは、現在の英語にも数多く残っています。
私生活の謎: 偉大な名声の一方で、彼の家族や私生活については資料が少なく、多くの謎に包まれています。
2. 戯曲『ハムレット』とはどんな作品?
シェイクスピアの「四大悲劇」の一つであり、世界で最も有名な演劇作品の一つです。あらすじ: デンマークの王子ハムレットが、父である王を殺し、王位と母を奪った叔父に復讐を誓う物語です。
「生か死か、それが問題だ」: 復讐を果たすべきか、正義とは何かという葛藤に悩み、なかなか行動に移せないハムレットの内面描写が最大の見どころです。
時代を超えた影響: 王道的な「復讐劇」でありながら、哲学的な深みを持っているため、今なお世界中で上演され続けています。
3. なぜ『ハムネット』と『ハムレット』が関係あるの?
ここが映画(および原作小説)の最も重要なポイントです。実在した息子: シェイクスピアには、**「ハムネット(Hamnet)」という名の息子がいました。しかし、彼はわずか11歳で亡くなってしまいます。
名前の響き: 当時、「ハムネット」と「ハムレット」はほぼ同じ名前として扱われていました。
映画の視点: 『ハムネット』は、息子の死という悲劇が、のちの傑作『ハムレット』にどのような影響を与えたのか、そして残された家族(特に妻のアグネス)がどう再生していくのかを描く、「名作の裏側にあった知られざる家族の物語」なのです。
シェイクスピアに関して知らずとも全然楽しめるのですが、知っているとなお理解が深まる。
クラシックな名作というのが今にも刺さるというのは映画、本を通して間々あることですが、これは本当に刺さりました。
クロエ・ジャオとの相性も抜群に良く、自然美とアグネスの神秘性を良く捉え、見事に表現している。
とりわけその象徴としての森の表現が印象的で、静謐な空間と木々のなまめかしさ。風のそよぐ音や小鳥のさえずり。自然と共にあり、直観が研ぎ澄まされたアグネスという人物像の形成を端的に知らしめる映像表現。
その後も”自然”というものへの優美な表現が頻出するわけですが、これと神秘的なグレーディングがリンクし、マッチしている。
もうこれだけでも見ものなんですよね。
フィックスされた構図というのも美しく、まるで舞台の枠組みを外枠に観るような印象。小道具や美術に動きが無く、人のみが動く演出。この静かで動的なバランスが独特な間合いを生み、映像の美しさに拍車を掛ける。
逆に終盤では一転、舞台上からの構図を置くことにより通常と異なる視点、アグネスや観客にフォーカス視点が挿入され、表情一発でのフィードバックを受け取り、反応が舞台をドライブさせていく。
映像の静けさを補完する要素として、サントラの素晴らしさもあると思っており、手掛けているのはマックス・リヒター。
広大な自然や沈黙、光を大切にするクロエ・ジャオならではの画作りと共鳴し、見事な世界観を構築している。
1. 「ポスト・クラシカル」の旗手
伝統的なクラシック音楽に、電子音やアンビエントな要素を融合させた「ポスト・クラシカル」というジャンルの第一人者です。
単なる背景音楽ではなく、聴く人の心に直接語りかけるような、ミニマル(反復的)で叙情的なメロディが特徴です。2. 代表作は「どこかで聴いたことがある」名曲ばかり
映画ファンなら、彼の名前を知らなくても曲を聴けば「あ!」となるはずです。『メッセージ(Arrival)』: 冒頭とラストで流れる「On the Nature of Daylight」は、映画史に残る名シーンを演出しました。
『アド・アストラ』: 宇宙の孤独を描いた音楽で高い評価を得ました。
『ブリジャートン家』: ヴィヴァルディの「四季」を大胆に再構築(リコンポーズ)した楽曲が使用され、世界中でバイラルヒットしました。
加えて、光へのこだわりも欠かせない。
『ノマドランド』や『エターナルズ』でも見せた、ジャオ監督特有の「マジックアワー(夕暮れ時の自然光)」の美しさは今作でも健在で、16世紀のイングランドを舞台にしながら、セットのような作り物感ではなく、まるでその時代にタイムスリップし、風や光を感じるようなドキュメンタリータッチの映像美にも惚れ惚れする。
暗がりの場面も印象的で、どうやら当時の光を忠実にした映像表現というのに重きを置いて撮影したよう。
なので室内での極端に暗い映像や、窓際の日が差し込む映像など、実際にその場にいたら、という再現性も見どころの一つかと。
そしてなんといっても演者の演技力が凄まじい。
ポール・メスカルは『グラディエーターⅡ』での存在感が印象深く、勇猛でクラシカルな雰囲気が本作とも相性が良い。
ですが、何といってもアグネスを演じたジェシー・バックリーですよ。
彼女の野性味と女性としての佇まい。女性らしさとも異なる、女性の本質に迫るような生物的な演技、表情を主として観客に知らしめるというのは圧巻の一言で、随所に彼女の魂が宿った声なき声がこだまする。
この演技力はただモノではなく、見どころとしての迫力十分。
子役の演技なんかも上手いんですよね。泣けますし、迫真に迫っていて。
物語の骨子として『ハムレット』が内包する人間の生死を左右する葛藤があり、それに解釈を含めた豊かさを伴った生きるということへの探求。
かの有名な「To be, or not to be, that is the question」(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)というがどういった経緯から表出するのかというところも感慨深く、誰しもに突き刺さる形として落とし込まれているのもこれが名言たるゆえんなのか。
本作で提示されるその答えの落としどころも軽妙で、明言されるわけでは無いが、要所の散りばめられた真実の断片がその都度心に刺さって抜けずにいる。
何の為に、誰の為に、言葉で語るにはあまりに浅はかな事実と対峙した時、わずかに残る残滓のようなものが物語るのかもしれないと思うと、当たり前などということは存在していないのかもしれない。
クロエ・ジャオ監督『ハムネット』、音響、映像表現含め、余計な事柄が一切ない映画体験。
相性の良さとクラシカルな名作の趣を是非。
では。





