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探幽訪真:深く、自由に、偏りなく潜る

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『服従』が突きつける逆説:知識は救いにならないのか?

『服従』

2022年フランス大統領選で同時多発テロ発生。。
極右・国民戦線マリーヌ・ル・ペンと穏健イスラーム党党首が決戦に挑む。
テロと移民にあえぐ国家を舞台に個人と自由の果てを描いた傑作長篇
世界の激動を予言したベストセラー。

何に対する服従なのか。

政治に覆われた社会で暮らす人々の思想と迷走に纏わる実生活の如何とは。

まず作者のミシェル・ウェルベックについて。

・どんな作家?

フランス現代文学を代表する挑発型・厭世型の作家。
性愛、孤独、資本主義、宗教、老い、死といったテーマを、
冷笑的・乾いた文体でえぐることで知られています。

「愛なき自由社会は、人を幸福にしない」という一点を、
小説ごとに別の角度から叩き続けている作家とも言えます。

・作風の特徴

・ 性と市場原理を直結させる
・ ロマン主義の完全な崩壊後の世界を描く
・ 主人公はだいたい中年・無力・孤独な男
・ 皮肉・諦念・ブラックユーモアが強い
・ 社会批評と私小説の中間のような文体

「炎上芸」ではなく、冷徹な診断医タイプの作家です。

端的に言って”遠慮のない、無慈悲に現実を捉えた作家”というのが私の率直なところなのですが、本作ではフランスにイスラム政権が誕生し・・・というようなお話。

これが非常に現実的であり、今の世相、現代社会に蔓延る問題をストレートに描写している。

タイミングがタイミングだけに政治というものの持つ力、それに翻弄される人々というのがこうも痛烈に響くものかと。

帯にも書かれている通り、人の知識や博識などといったものはある局面においては全く意味を成さなくなる。

というのもそこにインボルブされるというのが常であるから。

そんな知識の権化のような学者という立場の主人公がシニカルに社会を分析していく様が描かれ、それと並行した世界の宗教的、政治的変容を傍観していく。その秘められたデカダンス的な視点からの信仰による道筋が面白いほど理解でき、同時に狂気的だと思ってしまうような世界の縮図を垣間見るかのよう。

自身でも年とともに老い、肉体的、精神的渇望の源泉が枯渇していくことを思う時、頼りになるのは知識や経験だと思ってきた。

でも、最近ではその力というのも些細なものでしか無く、テクノロジーやそれこそ社会の変革によってあっさりと淘汰されたり、凌駕されたり。

ベースとしてのそれらの必要性は疑うところではないが、それでも真に必要なものというか、自分にとって頼れるものとは何なのだろうと思っていたところだったわけです。

作中に出てくる”信仰”というものの在処、拠り所としての強固さというのは感じて言うところでもあって、人は自分のためにというよりも他人のためにという行為や意思のほうが、信念として曲がり無い力を秘めるというのは薄っすらとではあるものの、認識しつつあったところ。

今の感情や思いというものも現社会にいるから生じることであって、時代変われば、立場変わればというような事柄は今の自分にとっては抜け落ちがちな視点であるのは間違いない。

頭でっかちになり、知恵で武装することより、必要なことは無いのだろうか。

そう考えた時に手を使った”スキル”、デジタル上のそれとは異なるアナログでの技術というのはある種裏切りのない、心理的支えにも成り得るのではないか。

思えば今の日本を見てもそう、アメリカにしろMAGAを提唱しているものの、抜け落ちているのは製造業や電子では無い、実世界で何かを生み出す力が不足しているのではないかと感じていた。

結局デジタルでのそれというのは作中で言うところの知識に相当するものであり、アナログのそれというのはその対極にあるものとも考えられる。

では信仰がそれなのかと言われると、それはまた違うと思っていて、信仰はあくまでも別枠として存在している拠り所のようなもの。

その拠り所に全てが凌駕されてしまうのであれば意味がないと言ってしまうのもそう思うが、その中でサバイブし、ほんとうの意味で自身を信頼たる個として存在させるためには身体を伴ったスキルが必要なのではないか、というぼんやりとした、確信めいたようなものを感じた。

現代には即さないような女性蔑視や宗教観もてんこ盛りなわけですが、そうしたことは実際にあることなわけで、口に出さずとも思っている人が多いということも事実。

背景にあるのは服従する側にも恩恵を受けている構造があるということもあるわけで、一概にどっちがどうと言えることでもないのかもしれない。

それは当事者が判断すれば良いこととしても、資本主義、その搾取する側とされる側という構図が見え隠れするのが確かな世の中にあって、この作品で言う服従というのは何を意味するのだろうか。

出てくるような絵に書いたような服従という意味以上に、無自覚な服従というほうが怖いわけで、誰しもがこちらに加担し、何かしらに服従してしまっているという風に考えた時、本質的な怖さの一端が身近にあることを痛切に感じる。

知識も一瞬で無に帰すように、現在も一瞬に無に帰す可能性がある、当然と思っているものが崩れた時、それでも失わないでいられる為には何が必要なのだろうか。

考える契機としても、今の政治、世界の混沌の中で思うても良いタイミングなのかもしれない。

では。