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『機動戦士ガンダム MS IGLOOシリーズ』はなぜ“敗者の記録”として刺さるのか

『機動戦士ガンダム MS IGLOO』シリーズ

MS IGLOO

1年戦争下にある世界線において、前編CGにて作成されたエピソード群。そんな中での人々の、MS以前の戦場のリアルが描かれたシリーズ作品。

備忘録として時系列を。

1年戦争時系列:IGLOO 3作品の配置

時期(U.C.0079) 出来事 該当エピソード
1月(開戦直後) ルウム戦役、ブリティッシュ作戦 『1年戦争秘録』第1話「大蛇はルウムに消えた」
1月〜4月 地球侵攻作戦開始 『重力戦線』第1話「あの死神を撃て!」
4月〜7月 地上戦の泥沼化 『重力戦線』第2話「陸の王者、前へ!」
5月〜10月 宇宙での新型兵器試験 『1年戦争秘録』第2話・第3話
11月 オデッサ作戦(地上の大転換点) 『重力戦線』第3話「オデッサ、鉄の嵐!」
12月初旬 ジャブロー攻略作戦・宇宙への撤退 『黙示録0079』第1話「ジャブロー上空に海原を見た」
12月末 チェンバロ作戦(ソロモン攻略戦) 『黙示録0079』第2話「光芒の峠を越えろ」
12月31日 ア・バオア・クー戦役(終戦) 『黙示録0079』第3話「雷鳴に魂は還る」

今観返すと、初期の『1年戦争秘録』(2004年)と『重力戦線』(2008年)では、CGの質感が全く異なり、その変遷、CG過渡期だからこその変化を感じる。

とにかく”汚しの美学”に重きを置いているシリーズだなと思っていて、現在ほどのCG技術がなくとも、逆にその荒々しさ、ノイジーな部分が臨場感にも繋がっているように思えてくる。

基本的にシリーズを通して”負けゆく者たちの意地”が毎話繰り広げられていくわけですが、どのエピソードにおいても感情の揺れと哀愁が漂い、軽々しい物語は存在しない。

当然戦時下に起きている話がベースとあって、現実的に軽率な話などは存在しないはずであり、そのリアリティが下敷きにあるというのは当然と言えば当然なのかもしれない。

まず前提としての各シリーズをざっくりと。

『1年戦争秘録』: 技術者・開発者の視点。まだ勝機がある(と信じている)段階の、「ロマンと技術競争」の物語。

 

『黙示録0079』: 敗色濃厚な現場の視点。もはや兵器の性能云々ではなく、「どう死ぬか、何を遺すか」という精神論への変化。

 

『重力戦線』: 地上の一般兵視点。MS(モビルスーツ)が「カッコいいロボット」ではなく、「抗いようのない巨大な死神」として描かれる恐怖。

なぜ手描きアニメではなくフルCGだったのか。そこには「MSの巨大感」へのこだわりがあったようですね。

監督の今西隆志氏は、手描きではどうしても「キャラクター」になってしまうMSを、CGを使うことで「巨大な重量物・工業製品」として描き出そうとしていたようで、そうした物質的な生々しさとCG黎明期の荒々しさが上手い具合に調和したといったところでしょうか。

MSによる戦闘、戦争がメインのガンダムシリーズの中、実際に行われる戦争の現実をここまで見せられると、如何に残酷なのかということを改めて思い知らされる。

『重力戦線』だけは連邦軍視点なので、「ジオンの悲劇を描いてきたシリーズが、最後に連邦側の地獄を見せる」という構成の対比もあり、結局戦争に関わる双方が絶対に不幸に陥るという現実の提示。

今にしてみるとCGの古さなどへの抵抗感も否めない部分はあるでしょう。それでも先に書いたように、映像の生々しさとして認識すれば良い味付けになっているとも言えるのかもしれません。

軍事記録をそのままの記録として描いたような戦場のリアリティ、楽しいだけがガンダムでは無いという懐の深さは他作でもいくつかありますが、この独特な質感は類を見ないところではないでしょうか。

戦争をそのままに別角度から。

では。