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探幽訪真:深く、自由に、偏りなく潜る

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『氷』はなぜ不安なのに心地いいのか──終末と欲望の読書体験

『氷』

「見たこともないような美しく冷酷なものに、からめとられる」 ――川上弘美(解説)

異常な寒波のなか、私は少女の家へと車を走らせた。地球規模の気候変動により、氷が全世界を覆いつくそうとしていた。やがて姿を消した少女を追って某国に潜入した私は、要塞のような“高い館”で絶対的な力を振るう長官と対峙するが…。迫り来る氷の壁、地上に蔓延する略奪と殺戮。恐ろしくも美しい終末のヴィジョンで、世界中に冷たい熱狂を引き起こした伝説的名作。

荒唐無稽な展開にしてなぜか物語への没入は出来るという異質な文体と世界観。

読書中は常に寒々しさが混在し、冬の夜に読むのが心地良く、安心してしまうというところに奇妙な迎合感を抱く。

本作は文学的な作品としての位置付けと共に、SF作品、スリップストリームとしての位置付けも存在するというのは序文にも書いてあることなのですが、確かに言い得て妙な文脈の浮遊感が存在し、独特な世界へ誘われるというのもまた一興。

スリップストリームとは、
現実と幻想の境界が曖昧なまま進み、違和感や不安だけが静かに持続していく文学を指す。

氷では、終末的な氷の世界も人物の関係も説明されない。
それが現実なのか、語り手の内面なのかは確定されないまま、物語は進んでいく。

ジャンルのあいだを滑りながら、不確かさそのものを読ませる小説、と言い換えてもいい。

著者のアンナ・カヴァンは長年、ヘロイン依存に苦しんでいたこともあり、本作『氷』にもその影響が色濃く反映されているとも言われている。

現実と夢の境界が崩れる感覚であったり、時間や空間の歪み、追跡と恐怖の反復など。

実際、氷というモチーフ自体がヘロインを想起させるところでもあり、これをリアルと呼んでいいのかどうかは微妙なところながら、薬物中毒における脳内と文学の交錯というのは遠からず文脈内にも読み取れることが出来る。

とにかく不確かさが常に付き纏う作品であり、場所であったり、時間であったり、事象であったりが流動的に変化し続け、飛躍する。

ぼんやりとした線は見えているのに、はっきりとした輪郭が見えてこない。

常に何かを手探りで追い求めるという構造自体が少女を追い求めることとシンクロし、その果てに両者共ぼんやりと終わっていくという終幕も綺麗に物語とリンクする。

一見するとそのような幕引きではカタルシスというか楽しめないのではないか、と思ってしまうところもあるかと思うですが、なぜかスラスラ読めてしまう。

物語をなぞるというよりも、作中に入り込む感覚に近く、氷が迫りくる世界を脳内で再生し、足跡を辿る。

抽象的な概念に差し迫られた時、現実ではどう映るのか。

追い求めるものも抽象的であり、その少女というのは「欲望」や「願望」、人たるゆえんとして、営みの本質が内包されているようにも映る。

結局、人の「欲望」や「願望」は移ろいやすく、手にしてもなお移ろい続ける。

それに対し問う、少女の吐露というのは核心を得たものでもあり、その両者での綱引きが、氷という未知の脅威によって浸食されていく。

その果てに残るのは何なのか。

最後まで明確な答えとして示されることは無く、余韻として残るその後の描写も見通せない。

それでも何故かそこまでの読書体験による積み上げから、抽象的な細部を想像し、心地良さをもたらすという奇妙にして居心地の良い終わりなのも本作の文体の魅力なのかもしれない。

では。