『プラハの春 不屈のラジオ報道』

1968年にチェコスロバキアで起こった民主化運動「プラハの春」で、市民に真実を伝え続けたラジオ局員たちの奮闘を、実話をもとに描いたドラマ。
社会主義国家の政府による検閲に抵抗し、自由な報道を目指して活動しているチェコスロバキア国営ラジオ局の国際報道部。中央通信局で働くトマーシュは、上司からの命令により報道部で働くことになる。それは、学生運動に参加している弟パーヤを見逃す代わりに、報道部と同部長のヴァイナーを監視する国家保安部への協力を強いるものだった。やがて報道部で信頼を得たトマーシュは、さまざまな仕事を任せられるようになる。真実を報道しようとするヴァイナーや局員たちの真摯な姿勢に触れ、弟への思いと良心の呵責との間で葛藤するトマーシュ。そんな中、民主化運動による「プラハの春」が訪れる。国民が歓喜する中、中央通信局に呼ばれたトマーシュは、驚くべきある内容をラジオで報道するよう命じられる。
チェコ本国で年間興行成績および動員数1位となる大ヒットを記録し、チェコとスロバキア両国の映画賞で多数の賞を受賞。第97回アカデミー賞国際長編映画部門のチェコ代表作品にも選出された。
事実は圧倒的に重く、それでも尊い。
いつの時代も、何かを変革するのは抑圧の中、立ち上がった人々の物語であって、タイムリーに尊ばれるものでは無いというのは世の常。
時を経てようやく理解されるものであるから、当事者はどれほどの無念と苦悩を抱えてきたのか計り知れない。
でも、多数派や忖度に飲まれ、溜飲を下げるより、”本当に正しいと思う信念に従う”このプライドだけは捨てたくないものだと改めて自身の信念を問われる。
本作は史実にあるプラハの春という民主運動の最中、報道という武力や政治では無い、メディアとしてのあり方を問うているような、事実を元に描かれた作品となっている。何にせよバックボーン無しでは少々理解が難しい。
ということでまずは事前情報として知っておくと良いことをまとめてみました。
1. 「プラハの春」とは何か
1968年に当時のチェコスロバキアで起きた民主化運動のことです。共産党のリーダー、ドゥプチェクが「人間の顔をした社会主義」を掲げ、検閲の廃止や表現の自由を認めようとしました。
2. ソ連(ワルシャワ条約機構軍)の軍事介入
この民主化の動きを「社会主義陣営への裏切り」とみなしたソ連を中心とする軍隊が、1968年8月21日に突如として軍事侵攻を開始しました。これによりプラハの街は戦車で埋め尽くされ、民主化の夢は踏みにじられました。
3. なぜ「ラジオ」が重要だったのか
ネットやSNSがない当時、ラジオ放送局は唯一の真実を伝えるライフラインでした。ソ連軍は真っ先に放送局を占拠・封鎖しようとしましたが、局員たちは命がけで地下や秘密の場所から放送を続け、国民に「冷静に抵抗すること」を呼びかけ続けました。
4. 主人公たちの葛藤:秘密警察(StB)の影
当時のチェコスロバキアには「StB」と呼ばれる恐ろしい秘密警察が存在していました。映画では、愛する家族を守るために当局のスパイになるか、それとも正義を貫いて真実を報じるかという、極限状態での「選択」が大きなテーマとなっています。
5. 実際の音声と映像の融合
この映画の大きな特徴は、当時の実際のニュース映像や録音された音声が巧みに使われている点です。フィクションでありながら、歴史の目撃者になったようなリアリティを感じさせる作りになっています。
相変わらずスパイと権力のマリアージュに染まる時代背景。現代と多分に異なる政治背景や市民達の意識の違い。
映像に対しての環境の違いが印象深く、序盤から放送や爆撃、調理音や電話、歓声や警告音といった様々な音への意識が鋭利に研ぎ澄まされ、映像とともに脳内を刺激する。
何が始まっているのかはわからずとも、ただならぬ事が起きていることを想起させる序盤。その流れのまま、すんなりと作品に没入させる構造というのは映画的フックの付け方として実に秀逸。
その後もソリッドに話が進行するのですが、まあ当然起きていることがシリアスかつ史実に持たれているため、骨子が固い。
時折入る緩急の仕掛けとして、そして民主化のキーとして挿入される楽曲の選曲、弛緩するその場面が少々の息抜きを与え、それは演者同様、鑑賞者である我々の場を和めてくれる効果としても絶妙に機能している。
音楽は自由の象徴として、世相を反映したアーティストの音像に乗せた主張だと言うことを肌感覚を持って知らしめる。
特にエンドロールで流れたBLUE EFFECT「Sun is so bright」は痺れましたね。
1960年代に作られたとは思えないメロディアスでサイケデリックな装い。
現行で聴いても全然通用するようなメロディセンスをあの時代に奏でるとは。チェコのバンドというのも面白く、詩的な部分は翻訳を観ないと理解は出来ないものの、若さゆえの孤独や迷いの中にありながら、かすかな希望を追い求める切実な心の叫びが込められている。
希望こそが渇望する原動力となる。
そしてそれを芸術の力が解放する。
痺れます。
ファッションの対比も面白く、自由を求める国際報道部の面々は暗く、制服的であるそれらでなく、あくまでも自身の意志に基づく格好を好んでいるのも頷ける。
抑圧するのは勝手であり、だからこそ反骨するのも勝手であると言わんばかりのパンク精神。

ただし、圧倒的に異なるのがそれが死に直結するような、迫害に直結するような事実であり、それでもなお主張を貫けるのかという、生半可な覚悟では出来ない世相だからこそ簡単な話では無い。
その主線として登場するヴァイナーの存在も非常にタフであり、欠かせない。

抜群の存在感と信念を感じさせる趣、主張や行動の一貫性と覚悟を滲ませる行動というのは畏敬の念を抱かずにはいられない。
演じているのはスタニスラフ・マイエル。こういう映画の重要な役柄というのはその立場だけでない重要な存在となるだけに彼の演技というのは非常に好感が持てた。
主人公のトマーシュを演じたボイチェフ・ボドホツキーも同様で、自分の意思と、両親や世相との間における葛藤というのを感じさせる好演が目立った。
他の演者も同様で、それぞれのやるせなさ、希望のようなものを垣間見せる仕草や言葉。細やかな機微から空気感を感じさせる余白というのは観ていてひしひしと伝わってくる。
如何に立派なことを言おうとも、有事の際にどういった行動を起こし、考え、立ち回ることが出来るのか。
試されているのはその姿勢だということを身を以てトマーシュから学ばせてもらいました。
心の動揺はあれど、真に揺さぶられ、そこから立ち上がることも出来る。それが伝播し、拡散されるラジオのように。
史実をもとにしているものの、ラジオ(WAVE)という媒体をメタ化し、象徴としての表現をも担わせる作り、まさに電波は伝播するということ。
序盤で火を焚べるトマーシュからラストで火を焚べる弟のパーヤで締めるというのも火は絶やさなければ燃え続けるというモチーフとともに、良き革命の一端を見させてもらった気がします。
では。



