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『僕たちは希望という名の列車に乗った』が描く、民主主義が生まれる瞬間

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

ポスター画像


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ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化した青春ドラマ。

1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。

監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。

一見すると学園ものにも見えるようなやり取り、だが、すぐに時代背景や思想性の滲むストーリーの重厚さに気付かされる。

時は1950年代、ベルリンの壁建設前の東ドイツでの話なのですが、現代とは大違いの様相、政治的な思想が様々な事柄を左右し、学生という本分であってもそのしがらみからは逃れることが出来ないと知る。

圧倒的に現代と異なる、当事者性の違い。

学業や学生生活、違わぬところも多い中、そこまで政治や国家というものに関心があり、というか関心を持たなければ生活に支障をきたすといった学生がどれほどいることか。

おそらく皆無だと言えるほど、平和的で実生活への関与が薄いというのが圧倒的な当時との差。

よく捉えればそうした事柄に左右されないということですが、”気にしていない”という構図が圧倒的違いであり、自分含め危険性も孕んでいることを認識させられる。

直近で観た『アフターザ・ハント』などにも近い構図があり、あちらは哲学、こちらは思想的な迷宮への誘い。

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特に大人たちのやり取りがミステリーものかと思わされるほどに後を引く。

教師の立ち位置、親父たちの思惑や含み、様々な事柄の形なき根拠の所在に揺さぶられ、本当の真実が何なのかということを問われる。

この解決についても見事に成されており、エリックの言う「結局何かに縋っているだけ」というのは自身も含めその通りであり、そうそう自分の意見だけで抗える人もいないものだと痛感する。

一方、各々が束となり総意になればそれは揺るがぬ信念に変わる。

終盤でテオが言う「自分で考えろ」というのはまさにそれであって、どんな事柄が背景にあろうとも、結局誰かのせいにしていては何も見えてこないし、見出すことも出来なくなってしまう。

そうした事柄をつなぐ役割として、パウルのおじさんが出てくるわけですが、彼の一言一句、振る舞いなどの達者感がツボで、言い得て妙な他を寄せ付けぬオリジナリティに惹かれる。

登場から普通でないことを想起させ、多数派を当たり前に、少数派には嘲笑をという構図が透けて見える民主制の否応なさを痛感する。

その後の彼と議論になるシーンにおいて、行った行為の意図を話す場面が出てくるのですが、彼の思想の鏡のような役割、知的さが垣間見えシニカルに物事を捉える姿勢というのが学生たちに痛切に響く様を見る。

こういうどちらが良いとか悪いとかでなく、真摯に全てを見渡せるような年のとり方をしたいなと思うわけで、その意味でも彼の存在感は実に大きかった。

そして終盤ですよ。

この映画の私的一番のカタルシスシーンが。クラスでの一コマ、誰が悪戯を仕掛けた首謀者なのかということに話が詰まってきたシーンでのやり取り。

今までのそれぞれの思想や思いが交錯してきた中、一点に向かって収束する。

あの瞬間、本当の意味での民主主義を見た気がするんですよね。それまでの単なる多数決やおふざけなどからの派生でない真の民主制。

見落としでなければ一番前に座っていた女の子一人はその渦中でも席に座ったままで加わることをしていなかったように思うのですが、それもそれという点含め民主制の真実味がリアルに伝わってくる。

強要による民主でなく、反対意見も含めてのそれ。

結果どうなるのかといったことや、その後どう振る舞うのかということも個人の判断に委ねられているというのこそが真の民主。

ラストから始まる物語がどういったことになるのかという含みを感じさせる終わりにも好感が持てましたし、史実に基づいてとはいえ、そこまで語る必要は無く、予感のみを残した幕引き。

争いの発端に保身や損得があるのは百も承知で、そうした闇に絡め取られた親父たちの様もわからんでは無い。

でも、それを知ってなお自分の足で立ち上がらなければ生かされるだけの傀儡に成り下がってしまう。

西ドイツへ向かうことにした際に起きるトラブルから生じた、クルトと親父のやり取りも痺れましたね。

出来ることは少ないし、やれなかったことも多い。でも少しでも変わろうとする姿勢が見えるという静かなる闘志を宿す。

やるせない中にも、やれることはある。

自分が諦めなければ。

では。