『WEAPONS ウェポンズ』

コメディアン、脚本家、監督、俳優など多彩に活躍し、2022年に発表した監督作「バーバリアン」が高い評価を受けたザック・クレッガーが、監督・脚本・音楽を手がけたホラー。
舞台は静かな郊外の町。ある水曜日の深夜2時17分、子どもたち17人が突然ベッドを抜け出し、暗闇の中へ走り出したまま姿を消す。消息を絶ったのは、ある学校の教室の生徒たちだけだった。なぜ彼らは、同じ時刻に突如として姿を消したのか。疑いの目が向けられた担任教師ガンディは、残された手がかりをもとに集団失踪事件の真相に迫ろうとするが、この日を境に不可解な事件が町で相次ぎ、やがて町全体が狂気に包まれていく。
物語は登場キャラクターそれぞれの視点で描かれ、モキュメンタリー風の演出も相まって、全米では公開後に観客の考察が飛び交い、スマッシュヒットを記録した。出演はジョシュ・ブローリン、ジュリア・ガーナー、オールデン・エアエンライク、オースティン・エイブラムス、ベネディクト・ウォンら。
世界観の構築、それ自体が映画の骨子となり、見どころにもなる。
前作もそうですが、ザック・クレッガー監督は画作りに関してのこだわり、完成物の強度が高い。
脚本や映像力、様々な要素が絡み合い、良質な映画というものが制作されるわけですが、単に”映像的魅力”に溢れている作品というのはその如何以上に端的な満足度が高い。
直近で紹介した『ワン・バトル・アフター・アナザー』などもそうですよね。
ちなみに制作の経緯としては以下のように語られている。
本作の監督・脚本・製作を務める ザック・クレッガー は、脚本を書く動機として、自身が経験した “親友の突然の死” にあると語っている。
冒頭数分の映像的至福。単に美しい映像というわけでは無いのに、何故か満たされるような感覚に陥る映像の魔法。
冒頭数分から引き込まれ、この先の心地良い時間が過ぎることを約束されたような錯覚に陥る。
子供が手を広げ走っていくという奇妙なルックも印象深く、あの演出は戦争写真が元ネタとのこと。
走り方の“元ネタ”
監督Zach Cregger は、「子どもたちが両腕を左右に突き出して走るあの不自然なポーズ」は、(意図的かどうかを超えて)ある有名な“戦争写真”を頭に思い描いていたと語っている。
その写真とは、1972年ベトナム戦争中に撮影された、いわゆるThe Terror of War(別名 “ナパーム弾の少女” の写真)――焼かれた村から逃げる子どもたちの衝撃的な姿。監督は「そのポーズ(腕を横に広げた状態で走る)には、言葉にできない不穏さがあった」と語っている。
端的に映像世界に没入させられるというわけでもなく、至福の映画体験として経験させられる。クレッガー監督作品にはそうした魅力が満ちている。
ホラーというジャンルを鑑みた際、どちらかというと驚きや怖さ、アトラクションとしてのイメージが強いわけですが、単純な映画のルックとして楽しめ、そのホラー要素やコメディといった際物のジャンルとしても十分に楽しめるから不思議なもの。
特にコメディ要素を織り交ぜる手腕は屈指のもので、数名浮かぶような監督はいるものの、どの監督作とも異なるシュールさと爆笑のユーモアセンス。
ブラックコメディでありつつも純然たるコメディ感が損なわれず、会場から笑いがこぼれることもしばしば。
ラストでの子供とグラディスとの追いかけっこなんてコメディでしかないですからね。単純に爆笑ですよ。
まあ、普通に笑えるんですよね。皮肉な笑いとかでなく、溢れ出す笑いのような。
本作は言ってしまえば行方不明というミステリーを軸としたホラー作品。
なのですが、純粋なそれとも異なっている。
構成としての面白さ、どうやら監督自身が語っているところを見ると以下のような映画からインスピレーションを得ているらしい。
Creggerは「Prisoners の映像スタイルが大きな影響だった」と語っていて、「“washed-out(色褪せた)”“somber, cloudy, rainy(陰鬱で曇天・雨のような雰囲気)”」というトーンを Weapons で再現したいと語っている。
また、彼は「Magnolia は“複数キャラが交錯する”群像劇として完璧だ」と語り、自身の作品である Weapons の構造や登場人物の絡みをつくる際に強く影響を受けたことを明言。たとえば、Police Officer のキャラ設定(俳優や演出面)には、Magnolia の警察官キャラをおおいに参考にしたと語っている。
さらに Cregger は、他にも複数の映画から着想を得たと認めており、例えば『The Shining』、『Picnic at Hanging Rock』などを挙げ、「ホラー」「不穏さ」「子どもの不気味さ」「郊外の闇」といった要素を Weapons に取り込んだ」と語っている。
確かに色味やトーンにはプリズナーズの滑らかで柔和なトーンが目立ち、マグノリアの群像性は人物ごとのチャプター分けされたところからも見て取れる。終盤で両親がドアを美ち破ってくるシーンなどはシャイニングそのまんま。
そんなマッシュアップも見事映画に組み込み、クレッガー監督の色を乗せ、融合させている本作。
一方、物語としての具体的な満足感が得られるかというと少々薄味に感じられるかもしれないですね。
特に先に書いたミステリー的要素、ようするに子供たちの失踪の真相ということになるわけですが、その帰結はある意味で映画のフックにしか感じられない。
これは全然悪い意味でなく、単にミステリーライクな作りや過程もそれはそれで面白いいわけですが、それ以上に映画としての単純なルックこそが魅力的に映る。
展開への工夫や演出効果もあり、とにかく全体としての映画味が程よい。
人物ごとにパート分けされた語り口というのも理解しやすく、人物の重層性が増すごとに理解も深まるという良心設計。
「あの場面はこういうことだったのか」とか「あれはこういうことでこうなったのか」など。一見無関係そうに見えることまでも、別の視点からだと見えてくる真実が存在している。
最近こういう作品も増えてきてますが、ホラーでのこれは斬新に映る。
逆に「この謎は解明されるのか」と思っていたことはあっさりとスルーされたり、全然伏線でも無かったりということも間々あり、トータルでミステリー要素に重きを置いていないということも見て取れる。
だが、それで良い。
考察し、自分なりの解釈を積むことは重要だが、そこに答えはいらないし、答えを求め過ぎると作品自体がチープ化し、それ自体が目的になってしまう気がして。
いちよ備忘録的に気になり、解決していないところを挙げると
①突如ライフルの幻影が登場し217と浮かび上がる
②17人も失踪したのになぜアーチャーはなぜあの家に行ったのか、他の家は?
③終盤でのグラディスは部屋に入ったはずなのになぜ地下に行けた?
などなど。
他にも気になる部分はあるものの、それを語るのも、考えるのも楽しい。
映画を愉しむというのは何も全てがすっきりとするから生まれるわけではないという当たり前の真実がそこにはある。
サウンド面での演出も良かったですよね。
全作もそうですが、軽快なサウンドを突如登場させたり、内向的な単音、電子音による冷たいサウンドも作品のスリリングさに拍車を掛ける。
ウェポンズ、作中で子供を武器化し突っ込ませると表現したような意味合いもあるのでしょう。でも、私的な主観として、序盤で担任のジャスティンが攻められ、両親などに追求する場面を見た際、SNSなどを通しての言葉の武器化、ロシア制裁に伴うドルの武器化、あらゆるものがキャンセルされ武器化される昨今。真に問われるべくは何なのかということを今一度それぞれが考えねばならぬのではとすら思ってしまうところではあります。
ワーナーにとっての洋画配給最後の作品となる本作、日本における映画業界が厳しい証拠でもあり、寂しい気持ちもありつつ、良き幕引きとなるのではないでしょうか。
では。

