『ルームロンダリング』

池田エライザが訳あり物件を浄化するオカルト女子を演じたファンタジー。新たな映像クリエイターの発掘を目的としたコンペティション「TSUTAYA CREATORS’PROGRAM FILM2015」で準グランプリに輝いたオリジナルストーリーを映画化。
18歳で天涯孤独の身となってしまった八雲御子。そんな御子の前に叔父の雷土悟郎が現れ、住む場所とアルバイトを用意してくれることになった。そのアルバイトとは訳あり物件に住み、部屋の履歴を帳消しにする「ルームロンダリング」という仕事だった。このアルバイトを始めたことで、幽霊が見えるようになった御子は、幽霊と奇妙な共同生活を送り、彼らのお悩み解決に奔走させられる。そんな中で御子は失踪した母親と再会を果たすが……。
池田が主人公の御子役を、オダギリジョーが叔父の悟朗役を演じるほか、伊藤健太郎、渋川清彦、光宗薫らが出演。片桐健滋と梅本竜矢のオリジナル脚本を、片桐が初長編監督作としてメガホンをとった。
人の死、存在というものをコミカルかつシリアスな視点から描いた作品。
そもそも論として、コメディテイストという素地のある作品ですが、どうにもそれだけでは無いという部分もあり。
まず、主演の御子を演じた池田エライザ。当時22歳と若いながらも抜群の存在感とふわふわとした役柄が妙にハマり、内在する葛藤の一端を感じさせるような出で立ちや振る舞いが調和する。
そして相変わらず変人キャラがお似合いなオダギリジョー。
彼見たさで観出したわけですが、こういう胡散臭い役というのこそが彼の真骨頂。
そんな二人を中心に物語が進む。脇を固める俳優陣も癖有りで、それぞれの良さを生かした絶妙な配役。
特に渋川清彦演じるパンクロッカーは好きでしたね。軽薄そうでいて情熱的、人情溢れる人柄。それでいて生きづらさを感じていたような軽妙な幽霊味。
物語として、主人公である御子には幽霊が見えてしまい、会話ができるというとんでも設定で進行していくわけですが、この設定に違和感を感じつつも、すんなり入ってくるシュールさが興味深い。
幽霊の存在感と関わり合いが丁度良いんですよね。
御子の存在があればこそというのは大前提ですが、掛け合いのバランスが丁度良く、幽霊だからこそ務まってしまう部分もあるのかなと。
劇中で行われていることは違法ですし、起きていることにしても突拍子の無いことだらけ。
それでいて人間味というか、人間として生きるということがどういうことなのかを諭す、幽霊視点の介在が不思議と魅力的に映る。
自殺や他殺、事故死など、様々な死の形がある中、何を思い、何を考えるのか。
劇中で語られるそれらが真実とも思わないですし、誰もがあのようなキャラクターたちのようだとも思わない。
それでも死んだら終わり、ということは確かであって、誰しも認識はしているが、本当に実感するということはその時が来たらなのだろうと改めて認識させられる。
本作のように、死後会話が出来れば別でしょうが、それは現実では到底あり得ないこと。
だとするとやはり生きているうちにやれることをしなければと思わされもする。
果たしてそれは可能なのか、そしてどこまで後悔無く過ごすことが出来るのか。
一方で重要だと感じるのが”感情の置き場”について。
生前に生じる様々な感情の起伏。あの人が嫌いだとか、この人からこう言われたとか、僻み、妬み、嫉み。逆に喜びや笑いなどもそう。
悪い感情であれ、良い感情であれ、いずれ死ぬとするならば、その感情に後悔を持つようなことはしたくない。
これが一番難しいだろうなと思うわけです。
その”感情の置き場”に整理がついた時、それが行動に繋がり、結果として後悔は少なくなるかもしれない。
そう思わされたのは登場する死者たちのおかげであり、この作品から得られたところでもあり。
コメディであり、シリアス。タイトルからして限りなくブラックに近い皮を被った人間ドラマの混沌さよ。
良き魂よ、良き所に宿れ。
では。
