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『懲戒免職』──オダギリジョーが放つ、00年代の空気と“大人”の本質

『懲戒免職』

映画「懲戒免職」の配信サービス・あらすじ・キャスト・作品概要|ユーウォッチ

高校生・萌の学校の美術教師・小田切が懲戒免職になった。小田切は授業中でもたばこを咥えているような、下品で粗野な教師だ。萌は、親友・真央の先生に対する恋愛相談を受けていた。一方、萌は自分は先生には恋愛感情を抱くことはないと信じていた。

『僕らの時代』にて久しぶりにオダギリジョーを見た影響から、少々観たくなりまして。まずはサクッと。15分の短編作品を。

2006年公開と今からおよそ20年前。

オダギリジョーのこの雰囲気は当時相当憧れました。

唯一無二の独特のオーラ。ファッション、スタイル、煙草の吸い方、全てがオリジナルで今見てもカッコいい。

そんなファッションから。

ヘアスタイルは無造作な彼らしいミディアムショート。

胸元開き目の重ね着スタイル。合わせるパンツもややルーズ目なスノーカモのようなブリーチのような。

ミリタリースタイルを雑に着こなす感じがルードで、ヘアスタイルとの相性も人物像と重なり、らしさに溢れる。

足元ビーサンというのも良いんですよね。

外は雨 on X: "「懲戒免職」渡辺あや監督。短編。オダギリジョーがだらしないダメが過ぎる美術の先生って、そりゃあやばいな。オダギリジョーが描く不二子。恋に惑う女子高校生よ。  #とつとつ映画 https://t.co/nCucqAtslP" / X

『メゾン・ド・ヒミコ』が好きだったこともあり、脚本が渡辺あやさんと同じだったこともありで本作を観たのですが15分と思えないほど、意外にも濃密。

変わらないなというオダギリジョーの雰囲気、00年代の空気感を存分に含んだ画作り。

高校が舞台ということもあり、当時勢いのあった高校生達が見事に立ち上がる。

思い返せばあの頃は女子高生を中心に様々な文化が形成され、最もトレンドを捉えていたのも彼女たちでした。その渦中において、当然色々な問題もあり、社会問題として色々と孕んでいたのもまた事実。

絶妙なバランスで保たれていた勢いそのままに、手触りのざらついた質感が残る。

その渦中にいるのがオダギリジョー扮する美術の小田切先生。

校内、教室、どこでも煙草を吸い、漫画を読む。

授業を教える気があるのかということはもちろん、教師になった理由等も不明。生徒たちからも「変わっている」と言われているのも頷けるが、それだけでないというのもまた頷ける。

この辺の見せ方が上手くて、主人公の女子高生が家庭で母親と接する時と学校で小田切先生と接する時の”大人”というモチーフがクロスオーバーする。

関係性としてはあくまでも学生に対しての大人という点なわけですが、大人というものの本質的な違いの機微を端的に表しているところが見られる。

大人ということを誇示し、”大人らしくあろうとする大人”、それに対し小田切のように”年齢として大人なだけという大人”。

似て非なるもので、大人になって失うもの、異なるところはあるものの、本質的には小人と何も違わない。

それだけならまだしも、その大人然とした大人が若作りや流行語を取り入れ、何故か子供と同質化しようとする。

ここがまさに気持ちの悪いところでもあり、自分がこうした年齢になったからこそ感じる葛藤もあり。

若くあろうとすることや何かを取り入れることは悪ではないと思う。でも、それはあくまでも同質化することとは違い、今までの自分にプラスアルファされる程度と捉えなくてはならないなと改めて。

オダギリジョーの現在を見ればなおさらその印象は強く、当時の雰囲気もありつつ、今は大人になった彼のそれがあるわけじゃないですか。

媚びて同質化することがベストじゃない。

確かにどうしようもないかもしれないけど、ブレない軸と本質を捉えた小田切の行動こそ、生徒たちにも何かしら響くところがあったのではないでしょうか。

峰不二子の件もそうですよね。

異なる世代との同質化でなく、調和を目指す。

非常に機微に富んだ仕上がりでした。

ちょい役で出ていた吉高由里子も存在感ありましたし、助監督に白石 和彌の名があったのも意外でした。

さらに行定勲監督がWOWOW用にハイビジョン撮影し、WOWOWでのみ放映された幻の一作が作中に登場するというのも同様。

意外に濃密な作品なので、気になる方はUNEXTでサクッと観てみてはどうでしょうか。

では。