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『ハックルベリィ・フィンの冒険』から『ジェイムズ』へ続く文学の系譜

『ハックルベリィ・フィンの冒険』

ハックルベリイ・フィンの冒険 [書籍]

かつてヘミングウェイは言った。
「アメリカ近代文学の散文のスタイルは、
ハックルベリイ・フィンという一冊の書に源を発した」
子供だけでなく、大人にも愛読され続ける、アメリカ文学の傑作。

トムとの冒険で大金持になった浮浪児ハックは、未亡人の家に引きとられて教育を受けることになった。固苦しい束縛の毎日――。
飲んだくれの父親が金をせびりに現われるに及んで、逃亡奴隷の黒人ジムとハックの脱出行が始まった。筏でミシシッピー川を下る二人を待ち受けるのは、大暴風雨、死体を載せた難破船、詐欺師たち……。
現代アメリカ文学の源泉とまで言われる作品。

新刊で発売した「ジェイムズ」を読む前に絶対に読んでおきたかった1冊。

発売当初が1884年ですか。およそ140年前。

今にして読むと当時と世相も変わり、テクノロジーも変わり、全てが根本的に変わっている中にあって、それで通じるところ、逆にわかり得ないことのバランスも生じてくる。

「トム・ソーヤの冒険」が子供向けの娯楽的物語だとすると、この「ハックルベリィ・フィンの冒険」は大人向けな少々ビターさを内包した物語。

端的なあらすじとして、現状への不満を抱える少年がミシシッピ川を下り旅に出るというもの。

こう書くと、それだけのことかと思われるのですが、出てくるのが善人、悪人、黒人、白人と多種多様な人々で、描き方そのものが豊かな文体に満ちている。

ミシシッピ川を軸に、風景や出来事の描写、頭の中に鮮明に浮かび上がる人物像。

ゆるやかな当時の暮らしぶりと、差別や偏見に満ちた困難、こうした両側面が克明に記され、時代的バックボーンと共に染み渡る。

そんな本作は文学的な功績としても影響が大きく、ざっとこんなところ。

  • アメリカ文学の確立
    ヘミングウェイが「アメリカ文学はこの一冊から出発した」と言ったほど、国民文学の基盤になった作品。

  • 口語体・方言の革新
    地域方言や口語をそのまま文学に取り入れたことで、従来の書き言葉的・格式的な小説から大きく飛躍。アメリカ独自のリズムを持つ文体を切り開いた。

  • リアリズムの発展
    子どもの視点で社会の矛盾や人種差別を描き、単なる冒険物語を超えて「19世紀アメリカの現実」を活写した。

  • 自由と道徳のテーマ
    奴隷ジムとの友情を通じて、「社会的な正しさ」と「人間的な良心」の対立を問い、倫理的葛藤を文学に深く組み込んだ。

  • 少年文学から成人文学へ
    少年の冒険譚の形を取りながら、大人社会への批判やアイデンティティの問題を内包し、児童文学と純文学の境界を押し広げた。

とりわけ”情景が目に浮かぶように”という点が素晴らしく、別段当時のアメリカの風景を知っているわけでもないのに、何故だか風景が目に浮かぶ。

ノスタルジーを鮮明に描写する作家同様、記憶に無い風景を記憶にあるかのような筆致で描くというのは文化的、多面的な視点があればこそ。

ヘミングウェイが言うように、アメリカ近代文学の素地を作った、と言われるのもこうした文体を見れば頷けるところがある。

そして、単純な冒険譚として、生き生きとした物語にワクワクさせられる。

知らない土地、知らない人との交流、そこで起きるトラブルやハプニング。

大自然との関りも、現在とは異なるところで、共存しなければならない当時だからこその羨ましさ半面、苦労を知るところでもあり。

ただ、ダイナミックにその辺も描かれており、故に作品内の世界に広がりがもたらされる。

川を下っていく際のあれこれというのは、その時の時間、気候、そうした風景の想起を助長し、心地良い描写となっている。

規模感やダイナミズム、それらは日本においては計り知れないスケールだと想像しつつ、それでも雄大な景色というのは容易に浮かぶ。

とはいえ人種差別、暮らしぶりの違い。そのような背景に対し、現代の感覚だと理解し辛いところもありますが、少々の時代錯誤は当然のこと。

想像以上にその厳しさはあったでしょうし。理解できるのはその一部でしかないわけで。

そんな時代に黒人との友情、関係性の構築というのがどれだけタブーとされていたのか。

これもまた想像し難い中にあり、それでもハックの手探りの過程において、真の関係性が育まれていくというのは理解できますし、あの環境で、徐々に育まれるという過程が文字面以上の説得力をもって真摯に伝わってくる。

そうした過程が非常に有意義で、人間関係の信頼に基づく構築というのは本当にそういうものから成ると思わされる。現代にも通じる、人と人の関係性の根幹であり基礎。

ちょっとした言葉、ちょっとした行動、気遣い、感情の共有、そうした中から偶発的に継続して育まれるわけであって、突然ということは真の意味ではあり得ないはず。

ハックの視点というのも興味深いところで、要所要所で皮肉めいたというか本人は至って真面目に、馬鹿げた表層上の常識を疑ってかかる。

忖度抜きに語れる子供の視点というのは至極真っ当なこともあって、大人の常識が正しいとも限らないから不思議である。

それらに対する回答などにも言及せず、ただその提示だけをするというのも実に子供的だし、特に時代を鑑みると一層のピュアさを鑑みる。

黒人奴隷のジムに対し、奴隷としてでなく一人の人間として見る、当たり前の視点と関係性は本当に信頼を感じさせられる。

現代との齟齬を感じつつも、旧来から通じる冒険譚のノスタルジックさ。人間関係の核心というのはそうそう変わるものでは無いのだと、知らされるところであります。

これが「ジェイムズ」でどのような形で語り直されるのか。機を見て読みたいと思います。

では。