『KNEECAP ニーキャップ』

2022年まで北アイルランドでは公用語として認められていなかったアイルランド語でラップをし、過激なリリックとパフォーマンスで注目を集める北アイルランド出身のヒップホップトリオ「KNEECAP」の誕生を、アイルランド語法制化を求める抗議活動を背景にたどった半自伝的ドラマ。北アイルランド紛争の傷跡が残る西ベルファストの労働者階級の若者たちの姿を、ユーモアを交えながらスタイリッシュな演出で描き出す。
ベルファストで生まれ育ったドラッグディーラーのニーシャ(MCネーム:モウグリ・バップ)と、幼なじみのリーアム(MCネーム:モ・カラ)。麻薬取引で警察に捕まったリーアムは英語を話すことを頑なに拒み、反抗的な態度を貫く。そこに通訳として派遣された音楽教師・JJ(MCネーム:DJプロヴィ)は、リーアムの手帳につづられていたアイルランド語の歌詞を見て、その才能に目をつける。3人は抑圧されてきたアイデンティティと母国語の権利を取り戻すべく、アイルランド語のヒップホップを始めるが……。
KNEECAPのメンバー3人が演技初挑戦にして本人役を好演。共演にマイケル・ファスベンダー。2024年・第40回サンダンス映画祭NEXT部門の観客賞をはじめ、世界各地で数々の賞を受賞した。
アメコミ的ルックと合間に入る筆記の雰囲気、アイルランド語はわからずともバイブスで問題無くノレる。
何が驚きって、まず、楽曲のカッコ良さとラップの上手さですよね。
トラックが格好良いとうのは当然、歌詞の内容は本当に過激で、上手いこと言ってる風でも無いのに、バチッとトラックにハマっている感じ。
2MC+1DJという構成の冥利もあり、更に言うとそのメンバー構成が面白い。
幼馴染で普段から中の良い二人に、学校の音楽教師って。
たまたまが重なっているといえ、これは実話なわけですし、それがこの仕上がりになるというのは偶然に出来ることじゃない。
センスですよ。
そしてその背景にある日常や母国語に対する向き合い方。
日本人ってその部分が希薄傾向にあると思うのですが、不満の果に何かしらのクリエティブが生まれたり、チャレンジ、気概を見せるというところもそう。
恵まれた環境の人がほとんどで、昨今生活が苦しくなってきているとはいえ、他国に比べればまだまだ環境的には。
そういう圧力がある中での発露ってやっぱり違うんですよね。
熱量というかバイタリティというか。
本当にキャラクターなのでは?と思ってしまうほど、それぞれの個性が立っていますし、起きることも驚きの連続。
そしてそれが彼らにとっての当たり前な日常。
脚本による構成が綺麗に纏まっていることで、ここまで整合性が取れているとはわかってますよ。
でも、あれが日常なわけで、ムーブメントとしてここまでのものにするということが。
作品内でも度々楽曲が流れ、そのライブ感、バイブスのアガりようは半端じゃない。
「立場がアイデンティティや行動の方向を変える」というような会話があるのですが、まさに本作の本質であり潜在的な核心であり。
一見すると良き立場が良い人格を作り・・・というようにも取れるし、逆の意味としても取ることが出来る。
でも、そういう善悪の二元論でなく、”どういったことをしたいのか”という立場にたてば、その意味合いも少々変わってくる。
自分は〜だからということは抜きにどうしたいのか。
DJとしてのJJを通し、本当にやりたいことや本望とすることが何なのかを教えられたような。
音楽って、音を楽しむと書いて音楽じゃないですか。
序盤で、学校の授業、全然楽しそうじゃない生徒たちの様子と建前の授業。
それが徐々にニーキャップが広まるにつれ、生徒たちの間で自然とラップ、楽曲の話題が飛び交い、その場にダイブする感じ。
芸術って何かを根本的に、早急に変えることは難しいかもしれないけれど、可能性としての変革を常に内包しているんだろうなと思うと、胸がすく思いがする。
プロバガンダ的なキャラとの対峙、葛藤、軋轢、そうした全てございの状況だって、音楽、ラップに乗せて言いたいことがある。
格好良いですよ、生き様として。
それはやっていることは薬、喧嘩、クズですよ。
ただ、その背景にある、やるせなさや、社会的な底辺の生活を味わっていない人が言うべきではないという観点も見出だせるし、何もやらないよりはいいと思ってしまう。
メロディに乗せ、共感する集団が集まり、熱となり、カルチャーとなる。それはそれでも良いかもしれないと。
親父も最終的にカッコ良かったですよね。
抗えなさから抵抗をやめ、沈黙していたそれまでの自分。対象的に親父が子の小さい頃に言った「言葉は弾丸」ということを胸に戦う息子。
その想いが楽曲を通し繋がり、クロスオーバーした時のあのカタルシス。
失ってもまた取り戻せば良い、そして信念のために戦え、というスタンスが滲み出るようなあの親子のやり取りはグッと来ました。
とまあライブとそのアーティストのステージ裏を見ているかのようなエンターテイメント性。
小気味よいフローに、心地良いビート、自然と体の揺れてしまうような体験というのもまた映画として良き形かと。
では。