『ジュラシック・ワールド 復活の大地』

1993年にスティーブン・スピルバーグが生み出した第1作「ジュラシック・パーク」から始まり、これまでのシリーズ6作がいずれも大ヒットを記録してきた「ジュラシック」シリーズの通算7作目。スカーレット・ヨハンソンら新たな顔ぶれのキャストで、前作「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」から5年後を舞台に、新章の幕が開ける。
熟練の特殊工作員ゾーラ・ベネットは、信頼する傭兵のダンカン・キンケイド、古生物学者のヘンリー・ルーミス博士らとともに、初代「ジュラシック・パーク」の極秘研究施設が存在した禁断の島へ足を踏み入れる。そこはかつてパークの所有者が極秘の実験を行い、“最悪の種”と言われる20数種の恐竜が生き残った、地球上で最も危険な場所だった。ゾーラたちの任務は、心臓病に奇跡的な治療効果をもたらす新薬の開発に不可欠な、陸・海・空の3大恐竜のDNAを確保すること。ゾーラたちは恐竜の脅威に立ち向かいながら、任務遂行のために歩みを進めていくが……。
監督は「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」「ザ・クリエイター 創造者」のギャレス・エドワーズ。製作総指揮をスティーブン・スピルバーグが務め、脚本は「ジュラシック・パーク」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」のデビッド・コープが28年ぶりにシリーズに復帰。シリーズ初の女性主人公となるゾーラをスカーレット・ヨハンソンが演じ、マハーシャラ・アリ、ジョナサン・ベイリー、ルパート・フレンドらが共演する。
悪くは無いが、勢いで乗り切った感も少々否めない。
舞台は変わって、というかただの前作から5年後となり、登場人物たちも一新。
相変わらず目的は以前から続く恐竜の、今回は最悪の種と呼ばれる生き残りがいると言われる島へ。
この呪縛から逸脱できないのはもはや仕方が無いことなのかもしれませんが、遺産からの逸脱無くして、本当の新章は成り立たないのかもと思ってしまう。
オープニングの雰囲気はメチャクチャ良かったんですよね。
説明も無く、研究施設でのSNICKERS伏線から、早々に人が死に、という展開。
見せ方、テンポ、そして死ぬキャラの当然感含め、手際の良さとそこにかける時間がちょうど良く、そこからの真っ赤なマーク、タイトルバックも格好良い。
そして今回は心臓病の治療薬に伴うDNA採取が目的なわけですが、なぜ陸海空という領域を網羅しないといけなかったのか。
巨大恐竜というのはなんとなく納得いくんですが、エリアがなぜという必然性に疑問符が残る。
しかも最初に選んだのが海。
サーフィンをやっている身としては空同様、地の利が全く無く、圧倒的不利なフィールドにおいて、陸から攻めないのかよと。
そして案の定壊滅的なことになり、上手いこと上陸出来たのは良かったのですが、救出した家族との謎の同時進行していくというパートに。
ただ、海上での迫力のあるやり取り、映像的な圧倒的魅力はありましたね。
大画面で観るからこその手に汗握る感じ、容赦の無い、恐竜の生態や知能を付けたからこその連携した関係性等も相まって、予測できない点は好感が持てる。
その後陸は草食恐竜ということもあり、難無く。
あの光景は良かった。
開けた風景と、怖さだけでない、恐竜の魅力。互いに理解することは出来ないかもしれない関係性ですが、共存できる種もいるかもしれないと思わせる画力。
生物としてのスケールの違いや圧倒的生命力を見せてくれるダイナミズムもありで、迫力のある構図でした。
空パートも自然の脅威と絶望感。血液で無く、羊液的なものでもいいの?という疑問を抱きつつ、明らかにそうなるよねといった展開に陥る。
この時の博士が落ちる前も直前の会話で「あと12mくらいね」というところであったり、海上で恐竜に追われた際の「浅瀬まではやつらは追ってこない」など、ご都合主義的だけどいちようの整合性が取れるようなフックが用意されているというのも気が利いているなというポイント。
恐竜の容赦の無さもそうで、以前からジュラシックシリーズにはそうした”恐竜はアンコントローラブル”というのが肝だと思っている中、本作ではそれも踏襲されているのは納得がいくところ。
家族一団の方のザビエルが小便をしているの時の恐竜の一連もそうだし、海での砂浜漂着からの荷物運ぶ際のニーナの顛末も、ホバーボート的なものを盗むシーンもそう。
待った無しなんですよ。
たまたま助かるとか、たまたま食われるとか。安心できる場面なんてあるわけが無い。
偶然でしか無くて、必然には何も事が運ばないというところを見せてくれたのは好きなジュラシック展開。
ボートのTレックス大暴れは泳げるとこ含め、激アツでした。
深いところいけば助かるのか、と思ったのも束の間、泳げまっせと言わんばかりの遊泳から、容赦無き追い込み。
逆に言うと、あの子供が連れて行くことになった恐竜の赤ちゃんの存在は何とも言えない。
あれも何かのトリガーなのかと思っていたものの、最後まで何も無い。
犬や猫じゃないんだから、可愛いからとかだけであんなことになっていいのかと。この編は何の目的で入れられた設定なのか。
ファンタジー要素としても弱いですし、理由付け特に感じられず。
アンコントローラブルとコントーラブルが混在する謎展開、そして伏線にもつながらない。
総じてマハーシャラ・アリとスカヨハの演者力で持っていたのかなという部分も感じつつ、二人の存在感は見ていて安心感がありました。
マハーシャラ・アリ演じるダンカンは滲み出る人間性、終盤での攻防、顔力のある佇まいはそれだけで色々な状況を示唆している。
そして顛末の3オマージュ。
偶然性という意味で捉えると、後味共に爽快でした。助かるか助からないかは先に書いた通り恐竜の気分次第、そこに理由とか無いから。
キャラクターという観点では個人的にザビエルは魅力的でした。
バカそうに見えて気概はあり(彼女を迷わずに助けに海に飛び込むとか)、自己犠牲も問わない、というか考えてない気が。
彼によりコメディ的なほっこりムードも漂いましたし、それだけでない人間の関係性も考えさせられると言うか。
頼りなさそうに見えて頼れる人間力というのはこういう非常時、極限状態において、純粋な力は無くとも、別角度からの魅力は存在する。
それを身を持って示したデビッド・ヤーコノ。この混在した天然な感じは和みと真摯さ、良く表現されていたんじゃないでしょうか。
新恐竜と言うか、新種の存在、造形がグロテスクだったのもテーマ性から考えると非常に納得の行くところ。
DNAをいじっての新種生命の創造。
目的は何であれ、どこまでが人間の冒して良い領域なのか。
心臓病の新薬開発が目的となっているものの、全ては人間のエゴという前提から端を発している。
ここまでは駄目、ここからが良いという線引は出来ないですし、だとしたら今の人類の生活は無いと言われれば非常に難しい問題。DNAを操作して誕生させた恐竜の造形を見れば、過剰な整形にも通じるところがあり、矛盾と共存したやるせなさというのを感じずにはいられない。
博士との会話であったように恐竜が越えてきた時代以上に短い時間しか地球上に存在しておらず、地球によるたまたまの存在でしか無いというのはまさにその通り。
くだらない内輪での点の闘争をやめ、粛々とあらゆるものとの共存を考えるほうが得策なのかもしれないなと。
特撮などに造詣の深いギャレス・エドワーズ監督ならではの恐竜表現、ざっくりとした映画的纏まりを持って、単純な映画体験としては悪くなかった気がします。
まぁ、何度も言っている、昼間という時間帯の開けた風景にジョン・ウィリアムズの楽曲が流れればその時点でジュラシックシリーズはブチ上がる。
本作でもその体は完全に踏襲されているのですが、それだけではという部分もあり。
続編も続くのでしょうか。そして続くのであればどうなるのか。
では。