『天使の分け前』

イギリスの名匠ケン・ローチが、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したドラマ。
スコットランドを舞台に、恋人や家族からも見放されていた青年が、信じられる仲間を得たことで前向きになっていく姿を、笑いや涙を交えて描く。
ケンカの絶えない人生を送るロビーは、恋人レオニーや生まれてくる赤ちゃんのために人生を立て直そうとするが、なかなかまともな職に就けず、またもトラブルを起こしてしまう。服役の代わりに社会奉仕活動を命じられ、そこで3人の仲間と出会ったロビーは、奉仕活動指導者でウイスキー愛好家のハリーからスコッチウイスキーの奥深さを教わり、テイスティングの才能が開花。仲間とともに1樽100万ポンド以上する高級ウイスキーに人生の大逆転をかける。
脚本はローチ作品おなじみのポール・ラバーティ。
良くも悪くも、物語を物語らしく語るのか、そうしないのかというところにおいて映画の良さはそれぞれあるかと思いますが、ケン・ローチ作品には現実とちょっとばかしの希望みたいなものを提示してくれるような良さがあるんですよね。
本作も一見するとバッドな生活から一変、ハッピーな生活へといった構図が浮かびそうなところ、そうはならないところに人生の本質が潜んでいるというか。
生まれや育ち、親や時代というのは選べない側面があって、だからこそ、それに悩んだり、苦しんだり、葛藤というものが生まれる。
それは裕福だろうと貧しかろうと同様で、ただ、貧しいほうがその劣等感ややるせなさは一層強い部分があって。
結局世の中金かよ、権力かよ、名誉かよ、と言いたくなってしまうところをそうでない何かで包んでくれる。
この作品で描かれるロビーの生活というのはまさにそんな事柄で、どうせ自分なんかと卑屈になるのも頷けるような境遇にある。
経緯は示されないものの、その彼女のレオニーやハリー、社会奉仕活動で得た仲間などから自分というものの本質を見失わず、生きたいように生きようと努力する。
ここが何よりのポイントで、”生きたいように生きる”ということがどういうことなのか。
背景に左右され、周囲に左右される中で、本当にそんなことができるのか。
結論から言うと出来ない訳ですよ。
じゃあそれで物語は終わりかって?そんなわけもなく、そうであってもその中なりの自分のやり方でサバイブしていく。
レオニーとの間に子供を授かったこと、ハリーとの出会いでウイスキーへの才能が目覚めたこと、仲間たちとの出会いで前向きになれたこと。
それらがあっても各々が望むような、いわゆるレオニーの父親が望むような至極真っ当なステップで聖人君子のようには生きられない。
当たり前ですよね。
変化させることが難しいところに期待し、頼る、これも結構でしょう。でも、それで自分の人生は開けていくのか。
結局ロビーが行ったことも、他の仲間が行ったことも、ハリーが許容したことも、レオニーが追求しなかったこともそう、目を瞑ってでも、自分で切り開かなければ先は無いんですよ。
その加減というかバランス感覚が絶妙で、度が過ぎたところに着地するのでなく、程よいところに着地する。
ただ、そこに無慈悲さや現実の残酷さも残した状態で。
ようするにロビーが生まれてから体験したことや現在体験したこと。そして周囲の人物が実際に体験したこと。
冒頭の各々が起こした事件を語られる場面にしろ、ロビーが起こした事件の被害者と対峙する場面にしろ、ロビーがやられるシーンにしろ、これら全てをひっくるめて、万策の解決などというハッピーエンドは存在しないわけですよ。
それを突きつけ、加味したうえでなお、清濁併せ呑むような状況を進んでいく。
自分だってそうですよ、順風満帆で全て良しなんて誰しもあり得ないじゃないですか。
そういった綺麗事抜きで見せてくれるケン・ローチ監督だからこそ痺れるところがあるわけで。
ただ、それだけだと話が重くなるところもあり、それを中和させるという意味でのコメディ要素や展開の挿入もお見事。
仲間たちの気の抜けた関係性が妙に和む。
楽曲の挿入も同様で、90年代の日本のドラマにあったような唐突だけど場の雰囲気を変えるような楽曲使いのちょうど良さ。
牧歌的で、物語を軽くドライブさせるような軽妙さ、このちょっとしたノリがまた作品自体に程よい緩さを享受してくれる。
クスっと笑えてガツンと重さもある。
境遇や生い立ちで人生は決まるかもしれないが、裏を返せばちょっとしたきっかけで人生が別の角度に触れることもあるのかもしれない、そんな一見ライトに見える、でもその実深い、まるでウイスキーのような熟成を感じる作品でした。
では。
