『近畿地方のある場所について』
「このホラーがすごい!2024年版」で第1位を獲得するなど大きな話題を呼んだ、背筋によるホラー小説「近畿地方のある場所について」を、「貞子VS伽椰子」「サユリ」の白石晃士監督が映画化。
オカルト雑誌の編集者が行方不明になった。彼が消息を絶つ直前まで調べていたのは、幼女失踪事件や中学生の集団ヒステリー事件、都市伝説、心霊スポットでの動画配信騒動など、過去の未解決事件や怪現象の数々だった。同僚の編集部員・小沢悠生はオカルトライターの瀬野千紘とともに彼の行方を捜すうちに、それらの謎がすべて“近畿地方のある場所”につながっていることに気づく。真相を確かめようと、2人は何かに導かれるようにその場所へと向かうが、そこは決して見つけてはならない禁断の場所だった。
オカルトライターの千紘役で菅野美穂、雑誌編集者の小沢役で赤楚衛二が主演を務めた。白石監督と「スマホを落としただけなのに」シリーズの大石哲也が共同で脚本を手がけ、原作者・背筋が脚本協力。椎名林檎が書き下ろし主題歌を担当している。
夏の風物詩といえばホラー。
以前話題になっていた際、カクヨムにてこの作品を読んだのですが、タイミングが合わず序盤でフェードアウト。
そして、映画化となり、監督が白石晃士さんということもあって気になっておりました。
正直、映画を観終わっての感想としては、「なぜあの時カクヨムで全て追わなかったのか」ということ。
それにしても映画でもう一度この世界への興味を抱けたというのはある意味で感謝しております。
文字媒体と映像媒体で質感や手触りが変わるこうしたお話。
基本的にオカルトやホラー、怪奇現象ファイルのようなこうした謎解きはジリジリと迫るような恐ろしさがあり、幼少の頃からなぜだか興味を惹かれたものです。
一旦話を戻しまして、この「近畿地方のある場所について」どういったものなのかということをざっくりと。
■スタイルと構成
本作は、カクヨムで2023年に連載されたホラー小説。後に書籍化され、映画化も進行中の人気作。ジャンルは「モキュメンタリーホラー」と称され、雑誌記事・インタビュー・SNS投稿・ネット掲示板のやり取りなど多様な資料をパッチワークのように組み合わせ、断片情報を読み手が紡いでいく形式。
■舞台はどこ?
あえて地名は一切明かされず、「近畿地方のある場所」として、読者の想像力を刺激する強い演出がされている。複数の考察では、モデルになっている場所として「滝畑ダム」が有力視されているものの、公式には特定されていない。
■小ネタ & 読者の声
読者レビューでは、「多視点によって徐々に真相が浮かび上がる構成がゾクゾクする」「ドキュメンタリーのようにリアルで、現実と創作の境目が曖昧になる」といった声が多数。「万人称視点で綴られるホラー小説。切り取られた記事、作者の語り、ネットからの情報やインタビューのデータ…点と点を線で繋ぐように真相が見えてくる」
書籍版には巻末に 袋とじ があり、開けた読者は「ゾワッとした」との感想多数。これはかなり刺激的な仕掛けだったようです。
ちなみにこちらにて読むことが可能。
とまあ一時期の2chを彷彿とさせるような界隈の都市伝説的なる話の現在形。
こうした原作の映画化のわけです。
白石晃士監督といえばモキュメンタリーにおいて秀でた監督だと思っており、その辺をどのように構成してくるのか、非常に興味があり、怖さもあり。
やはりというか場面の細部、ディティールに宿る怖さや仕掛けといったものが多分に含まれていて、観ているこちらとしては鑑賞中にずっと気が抜けないような映像が続いていく。
いわゆるな驚かせ演出というよりは湧き上がってくるようなゾッとする感覚、日常に潜む開けてはいけない何かを探っているような独特の緊張味。
この辺の表現は相変わらず。
物語としては、カクヨム、小説が原作としてあるわけで、そのプロットをどう表現するかというところが最重要ポイント。
映画を鑑賞した段階ではまだ未読だったこともあり、その通りになぞっているのかということは正直不明でした。
ですが、映画として観た際、真相を解明していくようなワクワク感と映像ならではの表現、そして展開に忖度の無い、実録めいた容赦の無さというのは白石監督だからこそ撮れたのではと。
作中に出てくる、それこそモキュメンタリーの権化的なる映像が頻出するわけですが、その作品内にある映像の作り込みが半端じゃない。
時代感におけるリアリティと解像度が抜群に高く、「こういう映像あったよな」と思わせてくれるのに十分な説得力。
そこに出てくるものや人、過去と現在を繋ぐパイプとしても良く機能していますし、何よりもそのクオリティに感服してしまう。
この作り物をよく作ったなと。
そもそもオカルトや都市伝説って人の伝承や想像から生まれるものがほとんどであって、それは時間をかけて醸造され、禍々しさに拍車をかけていくんだと思うんですよ。
それって、良くも悪くも短絡的に、色々な物語やバックボーンが削がれていき、核心部だけが表出していく。
そのぼんやりとした何かに対し、論理的、整合性をもって解明しようとした時、そこに怖さや恐ろしさが滲み出てくる。
そんな滲み出る暗部を取りこぼさないように構成されたところがまさにといった感じ。
真相など、書けるところがどうしても少なくなってしまうため、面白さの源泉を表現するのが難しいところではあるのですが、なんといっても”日常と地続きにある輪郭の顕在化”、それを点から線に変えていくようなところこそが肝になっている。
一瞬も見逃すことが出来ない(いつ、何が起きるかわからないので)作品を通して、謎に迫った時、結果、どういう結末が待っているのか。
人間の狂気めいた認知の歪みが生み出したもの以上に、真にその狂気を担うのは人間そのものなのかもしれませんね。
それにしても菅野美穂さんの演技はあいも変わらずで。
世代としては、それこそホラー系の狂気じみた役の印象も強く、久々にこうした映画で観たのですが、迫真のというか、表情が良い。
笑顔や優しさ、そうしたものが裏返されるような感覚を伴う振り幅の強度。
カオスに放り込まれるような一変する変化の差分が怖い怖い。
なんか良い人とそうでないかもしれないいという境界線が崩れる瞬間が半端じゃない良い塩梅なんですよね。
とまあ、こうしたことを踏まえたうえで、原作をもう一度読み直してみたのですが、正直なところ、文字媒体と映像媒体では質感が異なる、という結論でしたね。
当たり前のことですが、出来ることにも違いがあり、故に見え方も変わってくる。
文字にすると、想像と徐々に構築されていく脳内での化学反応を楽しめる静的な恐怖、それに対し、映像だと直接的でよりダイレクトに響いてくるこみ上げる恐怖。
形は違えど輪郭の部分における表現は映像でも出来ていたのかなと。
ただし、好き嫌いの質的部分における、”恐怖”というものの根源については本作において、原作に分があるなと思ってしまうのも否めないところではありました。
想像を掻き立て、読むものの余白に培養されていく恐怖。
良し悪しはさておき、自ら確認しどう思うのか、それが重要なのではないでしょうか。
ちなみにカクヨム、書籍、文庫、この違いについてはざくっと。

では。
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