『儚い羊たちの祝宴』

夢想家のお嬢様たちが集う読書サークル「バベルの会」。夏合宿の二日前、会員の丹山吹子の屋敷で惨劇が起こる。
翌年も翌々年も同日に吹子の近親者が殺害され、四年目にはさらに凄惨な事件が。優雅な「バベルの会」をめぐる邪悪な五つの事件。
甘美なまでの語り口が、ともすれば暗い微笑を誘い、最後に明かされる残酷なまでの真実が、脳髄を冷たく痺れさせる。米澤流暗黒ミステリの真骨頂。
暗黒ミステリというのはまさにであって、個人的な読後感としては学生時代に読んだ暗黒童話的なるものに近似を感じる。
当時中学生だった自分にとって、本を読むのは授業のみというようなもので、そこまで面白いと思ったことなどはなかった。
それが、隣の席の女子が読んでいた「本当は怖いグリム童話」、何故か興味をそそられ読ませてもらったところ、面白い。
授業中にもかかわらず、先が知りたくて読んでいたという記憶を呼び起こされる。
本作で扱われるのも中学生では無いが、学生というところに奇遇を感じたりもしますし、実話ベースめいた、当時のグリム童話とは異なる現実感の伴う禍々しさ。
短編として連作され、それがバベルの会という一点において交錯していくわけですが、そこまで結びつきが強いわけでもなく、でも、背後に潜む禍々しさというのは世界観として必要不可欠な要素になっているというのもまた事実。
読書というものもまたそれぞれの話を繋ぐ契機になっているわけですが、これもまた高尚な趣味であるという反面、人が内包する欲や狂気というところとリンクしているというのも見事な構成となっている。
全編にわたり、お嬢様達の独特な暮らしぶり、風習などからくるようなものになっており、そこにゴシック的要素、暗黒めいた空気というのを孕み、だからこそなのか、フィクションめいた寓話の世界に足を踏み入れたような衒いもある。
これらのお話の奇妙で恐ろしいところが、直接的な描写以上に、端々に潜んでいる”予感”めいたものの恐ろしさがあるということ。想像の中でそれらが増幅し、反響し合うことである種の気持ち悪さ、後味の残像のようなものが滲み出てくる。
先に書いた暗黒童話などもそうで、表層上のメルヘンという皮を被ったものから表出する裏の顔、影の肖像が顔を出すと、なぜこんなにも禍々しく映るのか。
ギャップなのか、振り幅なのか。
こちら側が期待するポップで可愛らしい心象からそのような像が形作られ、勝手にメルヘンとはそういうものだと思っているから逆に振られた時の印象として、より過激にブーストされたように感じるのか。
ミステリーに造詣が深くない私ですら気づく数々のオマージュも潜んでおり、それがまた手の込んだところもあり、詳しい人などは色々と思うところもあることでしょう。
タイトルの意味、これを知る手がかりになるのが、最後の一編「儚い羊たちの晩餐」なわけですが、これも秀逸で、今までの話を総括し、ひっくり返すような嫌味があり、寓話というものにおける、幻想と現実というもののリアル、これらを同時に突きつけるような鋭さもある。
別角度からの楽しみとして、祝宴や晩餐とあるように、食事に関する描写も頻繁に出てきているのですが、それがまた豪華さや華やかさを誇示している一方で、読書同様の欲や業といった人間の内包する闇の部分を垣間見るようなところもあり、人間の本質が食に現れているというのもまた面白い。
文化や伝統、格式や様式、高尚な人々がそれを顕示するために作り出したものが、それに取り込まれ、逆に取り憑かれたようにすら思える滑稽さ。
人間というものの生来の気持ち悪い部分を見せられているようで、後味は悪いものの、そこに興味や関心を抱いてしまう自分がいるというのも奇妙なものです。
暗黒のパラレルワールド、興味のある方は是非ご一読を。
では。
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