『デイズ・オブ・サンダー』
「トップガン」の製作者、監督、そして主演が再集結。ストックカー・レースに賭ける青年の姿を、迫力のレースシーンを盛り込んで描く青春ロマン。天性の才能を持つ青年コールはレースカーのビルダーとして名を博したハリーの教えを受け、そのドライブテクニックを磨いていく。悪童ぶりも徐々にエスカレートする一方、クラッシュ事故に巻き込まれてしまうコール。やがて彼は女医クレアとの出会い、そしてライバルとの争いを経て、デイトナ・レース挑戦の決意を固める……。
戦闘機とくればその次はカーレースという流れは自然なわけで。
それにしてもトニー・スコット作品は今にして思えば、時代性なのか、ストーリー以前に抜けの良さ、爽快感とでも言えるような潔の良さを感じずにいられない。
映像的、音楽的な外連味、展開におけるそれも相まってか、とにかく信じられないくらい希望に溢れている。
本作においてもストーリ的な唐突さや無理のある展開というのはある中、それでも一本の映画として、こういうものだと思ってしまえばそれもまた映画。
考察云々いっている今日において、その感覚からすれば到底離れたものになると思いますが、それだけでは得られない感覚的多幸感、ご都合主義だからこそのハッピーさというものも確かに存在する。まさにそうしたことをカウンター的に思い知らされるのが本作。
なぜそう思うのかという最たるところは、レースでの勝利や記録を破るようなシーンにおいて。
誰もがガッツポーズをするようなシーンにおけるレールの敷き方が映画そのもので、多くの人が自然と声を挙げ、ガッツポーズをしてしまうのではないでしょうか。
それくらい自然な喜びに溢れている。
観ているこちらにその気にさせるというのはそうそう狙ってできるものでもなく、意外にも難しいことだと思うんですよね。
それに寄与しているのはトニー・スコット味のある映像と音楽もあってこそ。
まず映像に関しては「トップガン」にもあったような哀愁漂う画作り。
夕暮れ時の、日差しが差し込み、群衆が集まっている時の、逆光。
そうしたひと目で”華やかだ”と思ってしまうような画作り。
豪華絢爛さに寄った華やかさではなく、言うなれば異国の海外に降り立った時の高揚感。
新鮮で空気そのものから受け取る雰囲気というものが画の中にパッケージ化され、観るものにダイレクトに伝わってくる。
そこにプラスされる音楽もまた格別。
イケイケで場を盛り上げる楽曲のチョイスとエンジン音の高鳴り。
緩急の付け方が場に即し、盛り上がる場面では盛り上げに徹し、ムーディーな場面ではそれに適したものを、この全く忖度のない、イメージ通りのチョイスをイメージ通りにしてくるというのがトニー・スコット流。
映像も音楽も一切衒いが無いんですよ。
観たままに受け取ってほしいとでも言わんばかり。
そこにトム・クルーズ、ニコール・キッドマンですよ。
花形のオンパレード。
正直深みという部分で言えば物足りなさを感じる部分もあります。でもこういう映画が観たい時はそういうことじゃないんですよね。
単純に”熱くなりたい”。
それを体現するのが主人公コール(トム・クルーズ)なわけで、ハリー(ロバート・デュバル)なわけ。
何があっても前を向く。
立ち止まっても歩き続ける。
人生に必要な活力的なる力の源泉と希望を見せてくれる。
コールが終盤で述べる「事故を起こすことよりも何もできなくなることのほうが怖い」というようなセリフこそが全てであって、人生においてもそう。
リスクや不安を排除し続けて、結局何のために生きているのか。得て失うものがあっても、得ずに失うことは無い。
チャレンジすることは時に苦痛も伴うけれど、それを避けていて人生の最後に何を思うのか。
全員の意思、感情、熱量、そうした全身全霊のやり取りを見れば、それだけで最高なのではと思ってしまうからこそ、人間の営みの本質に根差した欲求なのかもしれません。
今にして観れば、今だからこそ観るべき作品なのかもしれません。「F1」と合わせて是非。
では。
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