『カップルズ 4Kレストア版』
「牯嶺街少年殺人事件」「ヤンヤン 夏の想い出」などで知られる台湾の名匠エドワード・ヤン監督が1996年に手がけた青春映画。ヤン監督による「新台北3部作」の第2作で、1990年代の台北を舞台に、欲望を追い求める若者たちの悲劇と希望を描く。
多彩な国籍の人々が暮らす台北の街で、共同生活を送る4人の少年たち。実業家の息子であるリーダー格のレッドフィッシュ、プレイボーイのホンコン、ニセ占い師のトゥースペイスト、新入りのルンルンは、お金も自由も愛でさえも、自分たちの思い通りに手に入ると信じていた。そんな4人の前に、フランスからやって来た少女マルトが現れたことにより、深い絆で結ばれていた彼らの関係は大きく変わりはじめる。
後に「8人の女たち」などに出演するビルジニー・ルドワイヤンがマルト、「牯嶺街少年殺人事件」で主演を務めたチャン・チェンがホンコンを演じた。2025年4月、4Kレストア版にてリバイバル公開。
時代的背景、文化的背景を丁寧に捉え、その中で台北という都市の魅力も存分に詰まっている。
エドワード・ヤン監督の作品ってその質感や手触り、都市と共にある感じがが生々しく伝わってくるというのが非常に好きな所なのですが、この作品も抜群の一体感。
台北のリアルな街並みや臨場感が本当に見事で、ヤン監督作品を観ると台湾に行きたくなってしまう。
本作は1996年に公開され、今思うと30年近くも前なのかと思うと驚きしかない。
話の内容としては青春群像劇にギャングマフィアものといったようなちょっとしたスパイスを加えたような仕上がり。
まず冒頭のバイクに乗って追っているシーンで始まるというのも良いですよね。
唐突な始まりに、その後の展開を期待させるような雑味ある映像、ラフなスタイルで撮られているというところも相まってか、非常に入りがスムーズなんですよね。
そこからの展開も登場人物たちを一挙に登場させ、バーでのやり取りを通して人柄、人名、関係性などを説明してしまう手際の良さ。
自然な流れの中で興味深くフックしていく子気味の良さというのはどこかタランティーノにも似た心地良さがある。
映像的な美しさというのもヤン監督作品の特徴で、特に夜の街並みを舞台とした本作はエドワード・ホッパー的な雰囲気も感じられ、特に静止画としての美しさが秀でている。
これといった言及がされているわけでは無いものの、映像や構図、空間の扱いにおいて、共通性が見られ、ホッパーの絵画に特徴的な孤独感や静けさ、都市における人間疎外といったテーマが、本作にも強く表れていたなと。
都市の中での孤立、主人公たちが台北という急速に近代化する都市の中で居場所を見失っていく様子は、ホッパーの描く都市の中の孤独な人物像と重なりますし、静的な構図はヤン監督ならではの外連味がある。人物を遠くから見つめる場面を多用し、空間と感情の距離を描く。これは、ホッパーの作品に見られる「距離感の演出」と非常に似ているなと思うわけです。
光と影の使い方もそう、自然光や人工光を使った緻密な演出があり、人物を包む光の陰影が彼らの内面を映し出します。これもホッパー的な演出と似ているところじゃないでしょうか。
とまあ、エドワード・ヤンは視覚芸術への造詣が深く、空間と人間の関係を意識的に設計していた監督。その点で、ホッパーの影響が無意識的または間接的に滲み出ている可能性は高いのではないかなと。
そんなことを思うとホッパーの写真集が欲しくもなり。
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どこか舞台じみたような構図の選択もあり、引きで静的に取られた間の取り方というのは奇妙な居心地を持たせ、傍観した視点というのも独特で面白いなと。
色使いもさすが。
美しい街並みとネオンの煌めき。
色のファジーさを生かしたような画作りが特徴的で、ぼんやりとした色の溶け合うような融合が見事。
パキっとしたネオンと、全体を包み込むような色のコントロール。台北の街並みと相性が抜群なんですよね。
特に青味がかった色が素晴らしく、観ていても引き込まれるような世界がそこにある。
物語というのもそうですが、それ以上に映画だけに、画で魅せる監督というのはそれだけでも存分な魅力がある。
ただ、ヤン監督作はその画だけによらず、ストーリーとしての面白さも抜群な故、圧倒的満足感があるというのもまた惹かれる魅力なんですよね。
この物語も中々にパンチがある。
冒頭から中盤くらいまでは青春のフィルモグラフィー的なそれに満ちているだけかと思いきや、後半ではその暗部や核心に迫るような重厚なところにまで立ち入ってくる。
特に核心に迫っていると感じたのがレッドフィッシュの親父のセリフ「あるものはお金では買えない」というもの。
これは若者の頃は誰しも一度は思うであろう、お金があれば何でも手に入るのではという幻想。
大人になにつれ、それが幻想であって、何でも手に入ると思っていたのは大きな間違いだと気付かされる。
そんな若者と対比的に現実のそれを暗示する構造が痛くも、自らに刺さってくる。
恋愛もお金も権力も自由もそう。
何もかもが手に入ると思っていた青春時代の幻想を映像一発で理解させ、徐々にその固執した考えを氷解させる。
自分自身も年を重ね、それが真に迫っているというのを感じていた節もあったので、非常に感慨深い側面もありで。
本当に手に入れたいものはタイミング、決意、そうしたある種の局面でしか得られない。
恵まれていれば、裕福であれば、だからといって全て順風満帆とはいかない現実を見せ、それをストレートに突きつけてくるところには刺さるものがありました。
マルトをマトラと呼ぶ件もそう。
資本主義の象徴として発展しているマトラ社と成長途中のマルト。
国や経済の発展と人間としての成長を重ねた意味づけが終盤に向けて両輪で走っていく。
ラストでのあの結末、終わり方というのも潔く、良い終わりだなと。
手に入れたいものは手に入れようとしなければ手に入らないが、それでも手に入るかは神のみぞ知る。
深い。
では。