『ぼくのお日さま』
「僕はイエス様が嫌い」で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史が監督・脚本・撮影・編集を手がけ、池松壮亮を主演に迎えて撮りあげた商業映画デビュー作。
雪の降る田舎町。ホッケーが苦手なきつ音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに心を奪われる。ある日、さくらのコーチを務める元フィギュアスケート選手の荒川は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にする。タクヤの恋を応援しようと決めた荒川は、彼にフィギュア用のスケート靴を貸して練習につきあうことに。やがて荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになり……。
池松がコーチの荒川役を務め、テレビドラマ「天狗の台所」の越山敬達がタクヤ、アイスダンス経験者で本作が演技デビューとなる中西希亜良がさくらを演じた。主題歌は音楽デュオ「ハンバート ハンバート」が2014年に手がけた同名楽曲。2024年・第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に、日本人監督としては史上最年少で選出された。
こんなにも美しい映画に出会えるとは。
それほどに美しく流麗。まず何といっても目につくのがフォグブルーに満ちた映像の幽玄さ。
どのシーンもパウダリーで散霧的なブルーが印象深く、とりわけスケートリンクにおけるそれは格別に美しい。
ずっと見ていたと思えるような美しさがあり、空気感の手触りすら感じられるような質感、そこで起きること全てが神秘的に映る。
神秘的というのはこういう光景を言うのであろうということが映像を通じてダイレクトに伝わってくるという心地良さが尋常でなく、観ていて非常に気持ちが良い。
情景もまた美しく、時折見せるジブリ的な牧歌性や風景の妙もあり、それもまた心を和ませてくれる。
正直この美しさだけでも観る価値ありじゃないかと思ってしまうほど、それほどに映像が美しい。
物語がどうこう以上にこんな幻想的な体験ってそう出来るものではないですから。
では物語はどうなのかということですが、それもまた抜群に素晴らしい。
設定、展開、終盤のたたみ方、切れ味の良さというよりは余白を愉しむ。個人的にはこういうのが良いんですよ。情緒があって。
ある日常を切り取り、そこに存在するリアルを絞り出す。
それを体現する役者陣も素晴らしく、主演と言っていいでしょう、3人のバランスがお見事。
荒川(池松壮亮)、タクヤ(越山敬達)、さくら(中西希亜良)、3人のハーモニーと演技力が抜群で、世界への没入を最高潮まで高めてくれる。
表情における機微が良識的で、ニュアンス表現も本当に素晴らしい。
前半部から後半部、終盤へと向かう中での3人の心情の変化と、それに伴う事象、そして最後の終わり方含め、移り変わりを見事に表現し、すんなりと浸透してくる。
思春期の甘酸っぱさ、大人の事情、葛藤や希望など。あらゆる気持ちの吐露を語らずとも、過ぎ去る時間の中で醸成されてくる美麗さ。
特にさくらの美しさは異常でしたね。
4歳からフィギュアを始め、演技経験は無かったようなのですが、初出演でこの存在感。
自分が幼少よりやってきたフィギュアということもあるのでしょうが、表現ということにおける美しさと、映画としてのそれが見事に共存し、神秘的な美しさを醸し出す。
ドビュッシーの”月の光”との相性も良く、映像における彼女の存在はある種女神的であり、映画全体の荘厳さを担保する象徴として機能しているようにも思えてくる。
前編通してのサウンドも親和性が高く、選曲のバランスがすこぶる調子良い。
クラシックからロックまでカバーし、荒川が傾聴する楽曲の絶妙さ、車でかけるテープなどといった設定、暮らしぶりが伺えるところもグッド。
サントラで使われる、映像とリンクするような美しい楽曲の数々と、劇中で使われるロック等の音楽のざらついた質感、この対比によるアンバランスさが作品内で調和し、作中での生活という一点において自然と収束していく。
個人的にはゾンビーズが使われていたシーンは印象的でしたね。
あのシーンでの解放的でフレッシュさが引き立つというか。
映像的な工夫も随所に見られ、先に書いた画作りの色合い以外にもショットの面白さもありましたね。
手持ちのような感じでの主観的、ホームメイド的な画の臨場感であったり、車のトランク後方にカメラを置いての前方を撮っていたりというショットのアンバランスさ。
前者はまるで主観としてその場にいるかのような雰囲気を感じられ、目線を同じくしての一体感を感じ。後者は車内を客観的に後方から捉えることで、抽象的な観察者としての視点が付与されるかのような。
とにかく神秘性と荘厳さに満ちた絶品の鑑賞映画。
観ることが視覚を刺激し、感性を融解させる。
本当に良い映画でした。
映画館で観たかった。
では。
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