『鏡子の家』
名門の令嬢である鏡子の家に集まってくる四人の青年たちが描く生の軌跡を、朝鮮戦争直後の頹廃した時代相のなかに浮彫りにする。
鏡子の家という場所、鏡子という女性を媒介とした群像劇。
言ってしまえばそれだけのことではあるのだが、それだけでここまでの広がりや豊かさが生まれてしまうというのは三島ならではのテンポと文体、言葉選びがあればこその仕上がり。
物語を物語たらしめる理由というのは起伏や展開、そうした何かしらのことがあればならではと思ってしまいがちですが、本来、小説=物語という構図自体、三島からしたら二の次、三の次なのではという疑問すら浮かんでしまう。
本著では、出てくる4人の男性に対し、鏡子という女性1人を媒介に話が進むというのは分かり易い構図なわけですが、それだけ聞くと真っ先に浮かぶのは色恋沙汰なのではないでしょうか。
ですが、面白いのがそこにフォーカスせず、それぞれが独立並行的に、それでいて鏡子の家において少しだけクロスオーバーするというのが設定として優れているように感じる。
今であればどうしたって全てを絡めて、伏線を回収し、読者にカタルシスを提供することが第一義的な時代にあって、そうした展開は訪れない。
それぞれの人生、それぞれの考えというものを徐々に紐解きながら、前提として横たわる日本という国の、さらに、人生というものの解釈と複雑さを精緻に描いている。
端的に言えば”人生って色々あるよね”というのようなことを提示し、浸透させたあとで、どのように考え、どのようにサバイブしていくのかという指南書のようなもの。
別段、しっかりとした指南などあるわけもなく、流れの中からそれぞれの人物に起きる事象を眺め、感じていくだけである。
この出てくる4人の男性像が三島自身の内包する気質であるとも言われていて、それら全てで三島であると解釈できるのも一考として面白く、事実でないにしても、そうした側面があるということを持って楽しめるというのもまた事実であるなと。
では鏡子は、ということになるわけですが、彼女はあくまでもそれを達観する視点に立ち、サバイブする上での一番の達者であったというのが個人的な見解にはある。
このように書くと一番まともで、一番平均的な人物として描かれるのかといえば全くそんなことはなく、むしろ一番別格とも言えるわけで、それなのにラストでの展開を考えると聞き上手ならぬ”生き上手”であったというのは不思議に思えてならない。
人生というものについて、考えれば考えるほど、よりその生からは遠ざかり、だからといって考えなければ考えない中で、否応にも考えさせられる時が来る。
結局中庸的であり、海に浮かぶブイのような柔軟性がなければ人生をサバイブすることは困難な道のりになってしまう。
ここでまた難しいのが困難にぶち当たらず、平板な人生を歩むことに意味があるのかという問いもまた生まれ、その兼ね合いを上手いことコントロールした鏡子の天性の感覚というのもまた見事としか言いようがない。
ここまで書いて小難しく映る部分が多いとも思いつつ、この物語にはあくまでもシンプルで当たり前な人生の前期、青春時代というものにもフォーカスされているわけで、そこの部分においてはライトに、朗らかとした人生の先行きを暗示するものになっている。
上手いのが、その変遷を”鏡子の家”という場所を介して表現していくというところであって、それこそ前半部の青春パートにおいては気の合う仲間が集うたまり場としてスタイリッシュかつ緩慢に描かれる。
それが徐々に変容し、空間の空気を変質させながら役割としての場を成すという技術、この変は三島だから出来るんだろうなと思ってしまう。
人生を楽しむということも、小説を楽しむことも、突飛な事柄でなく、その過程にある機微や美しさといった”ささやかな気づき”こそがその深みを増してくれるのでは思えるところにおいても、この鏡子の家という作品にはそれらが存在するのではないかと考えさせられる。
唯美論めいた三島の思想であったり、それを実際に体現する文体、語彙の美しさを堪能する。
それ自体を楽しめるのであれば人生もまた本当の意味での裕福さに溢れるのかも知れない。
では。
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19この世に苦悩などというもの
28ほっておいても感情というものは
81顔については、形態的美醜
93オフィスにいるとき
134時間と未来の利益を
152俗物の社会は大きくなり
181大体女は自分の思想
256世界が他人の目に
280本当に女が好きになるには
317一つの空虚を埋めるのに
325何か犯罪と紙一重
362夏雄は水平にちかい線がいくつも
363今までの半生に
364天才の感受性とは
366高原の夏の日ざしに
383社会の裡に
385僕らの思想は決定論的
422無意味な世界の全体の
481鞏固な星のような
487思考というものの皮肉な性質
492目的が全然欠け、存在理由
518個性とは
555希薄な現実、希薄な空気
560あらゆる買春の原因
565どんな寒い晩にも
592因果なことに人間は
598人生という邪教