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あの頃の自由が詰まってる『シーズ・レイン』を今観るべき理由

『シーズ・レイン』


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神戸を舞台に、友達として過ごしてきた高校生の男女が繰り広げる恋と友情、出会いと別れを描く青春映画。平中悠一の同名小説を原作に、自主映画出身の城羽弥仁が手がけてた劇場デビュー作。撮影を「はるか、ノスタルジィ」の阪本善尚が担当。主人公の男女二人にはCFやテレビで活躍する小松千春と歌手の染谷俊が扮し、それぞれスクリーンデビューを飾った。

タイトルの意味が終盤に繋がった時、本作の抱える恋愛のリアリティを見た気がする。

CLを観るために入ったWOWOWで、折角なら他で観られない作品を観ようと思った時に気になったていたのが本作。

台湾映画的であるビジュアル。この雰囲気にやられました。

舞台が神戸ということ、1990年代という年代の誘い、関東との文化圏の違いや、当時の時代背景を含め、ノスタルジックでもあり、逆に近現代的な部分も感じたりと、30年という月日の流れを感じさせる。

神戸のまだ現代化してないような街並みや風景などはそれだけでも観る価値があるなと思うほどに美しく、情緒的。

30年足らずでここまで世相は変わるのかというほど、価値観や、習慣、行動に至るまでの全てが異なるのも驚きで、高校生が普通に酒を飲むし、タバコも吸う。

格好にしても到底今では見ないような派手さと大胆さを纏ったファッション。

ブランド志向ということもありつつ、それ以上にファッションというものの本質的な自己表現や誇示を感じる。

自由度で言えば確実に現代の方が優っているのであろうことは認識しつつ、それでも当時の方がある種の自由さがあったのではないかと思ってしまうのは何ゆえなのか。

恋愛が希薄になり、人間関係ですら同様になってきている中、それこそが目的、生き甲斐の中心にあったような世界を、まざまざと見せつけられる。

文化やテクノロジーの発達が必ずしも幸せを招くものでなく、むしろ人間的な営みの本質は"関わり"の中から生まれてくるのではないかと心から思わせてくれる。

チープに映るやり取りや、背伸びしたような高校生の雰囲気などが目につくところもあるが、それでもそれ込みで必要な要素と思わせてくれるのはなんとも納得してしまう奇妙な面白さがある。

構図に関しても今ではあまり観ないようなものが多く、特に会話劇で左右対称にしてのショットというのは目新しく、コミカルにさえ見える作り物の様相が感じられる。

神戸の高速道路を空撮で正面に捉え、徐々にクローズしていくショットの気持ち良さはなんだか観たことがないようなテイストもあり、新鮮に映る。

恋愛という不確かで、曖昧な事柄を、最後までその抽象度を保ったまま見せてくれるというのは非常にスリリングでヤキモキさせられ、同時に、抽象性があるがゆえのファジーな心地良さも共存する。

あのやるせなさは高校生、彼らの演技が完璧ではないからこその瑞々しさあればこそで、だからこそ唯一無二の純粋な時間というものに引き込まれてしまうのかもしれない。

ハッとさせられる美しさや、耽美な映像というのもアンバランスな同居があればこそ。

青春という儚さの中には観ていて恥ずかしくなる部分もありつつ、故に純な美しさが滲み出るのかもしれないともいえる。

夕暮れや夜の描写もそうで、基本的に青みを帯びた色彩の抜けの良さ、ウォーム感よりもクールさを全面に出した画が、演者の若々しさと対比して際立つ。

先に書いたポスター等のシーンなどはその美しさが凝縮された光景であったのは紛れもなく、あのショットだけでも非常に画になる。

無理のある展開や、気になる設定があるのは間違いないですが、それでも今観ても楽しめてしまうというのは映像内にあるリアリティに時間的担保があるからなのでしょうか。

小説が原作ということですが、映画としてはサブスク含め、観れるところは非常に限られるようで。

では。