『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』
2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの若い日を描いた伝記ドラマ。「デューン 砂の惑星」「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」のティモシー・シャラメが若き日のボブ・ディランを演じ、「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」「フォードvsフェラーリ」などを手がけてきた名匠ジェームズ・マンゴールドがメガホンをとった。
1961年の冬、わずか10ドルだけをポケットにニューヨークへと降り立った青年ボブ・ディラン。恋人のシルヴィや音楽上のパートナーである女性フォーク歌手のジョーン・バエズ、そして彼の才能を認めるウディ・ガスリーやピート・シーガーら先輩ミュージシャンたちと出会ったディランは、時代の変化に呼応するフォークミュージックシーンの中で、次第にその魅了と歌声で世間の注目を集めていく。やがて「フォーク界のプリンス」「若者の代弁者」などと祭り上げられるようになるが、そのことに次第に違和感を抱くようになるディラン。高まる名声に反して自分の進む道に悩む彼は、1965年7月25日、ある決断をする。
ミネソタ出身の無名のミュージシャンだった19歳のボブ・ディランが、時代の寵児としてスターダムを駆け上がり、世界的なセンセーションを巻き起こしていく様子を描いていく。ボブ・ディラン役のティモシー・シャラメのほか、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルックらが共演。第97回アカデミー賞で作品賞をはじめ計8部門でノミネートされた。
ボブ・ディランといえば、コアなファンが多く、単に好き嫌いでは語れないような神聖じみた衒いすら抱くレジェンド。
その楽曲に関しては自分も何度か触れてきたものの、フォークであること、歌詞に詩的性があること、情緒のあるサウンド。その程度の認識であって、さほど深入りしたこともありませんでした。
要するにフォークという楽曲のバックボーンやボブ・ディランという人物について詳しくは知らないということですね。
そんなボブ・ディランを描いた自伝的映画であって、主演がティモシー・シャラメという異色の組み合わせ。
評判が良いこともあり、なぜだか異様に気になってしまい観に行ってみることに。
予想以上だったというのが正直なところで、ディランに詳しくなくとも彼を知る入口に立てるような素晴らしい作品でした。
ちなみに映画に関して前情報として知っていたのはこれだけ。
若き日のボブ・ディランを演じたシャラメは、準備期間5年をかけ、本編で実演奏・歌唱パフォーマンスを披露。
「おいおい、5年をかけて本人を演じきるってどういうことだよ」、そう思ったのがきっかけだったんですよね。観に行くことにした。
観た瞬間、納得のトレース力。
ディランという人物の当時の人物像、音楽観、生活、佇まい、ぼんやりとしか知らなかったものに彩度を纏い、その場に表出したようなリアリティを発現する。
実演をしているというのもかなり大きい要素だと思っていて、音楽のようなものは人物から直接に出るオーラのような部分も多分に影響し、サウンドとして溢れ出てくる。迫力や感銘と言った類のものはそれを纏っていればこそ抱く感情であって、体現するためには再現などでは到底力不足。
シャラメがとにかく凄いんですよ。ここまで仕上げるって並大抵のことでは無いと思いますからね。
憑依していると言っても過言じゃないほどの存在感。
5年をかけて徹底的に自分の中にディランを憑依させるというのは役者魂を超えたディランへの愛も感じますし。
そんなシャラメの素晴らしさを念頭に置きつつ、憑依したディランへと思いを募らせる。
当時の影響力の大きさ、それは文化的にも、社会背景的にもそう。さらに言えば音楽的な立ち位置や人間関係的部分なんかもそう。
今ほど言論や、行動に自由が付加されていない時代にあって、ここまで”自分”というものを振りまけるのは並大抵のことじゃない。
自分勝手に振る舞うだけならばそれも可能かもしれないが、多くの人の心を掴むメロディ、歌唱、そして何よりも歌詞。
洋楽で歌詞がそこまで重要というのも自分の中ではわりと珍しいことで、洋楽は入口としてメロディと感覚のフィーリングが最重要とする中にあって、ディランの歌詞は知りたくなるし、響くところではあった。
実際2016年にミュージシャンとして初めてノーベル文学賞を受賞してますしね。
言葉の力と、楽曲のパワーという両輪で突き進む様はフォークという音楽性を超えた”音楽”というものの力を感じずにはいられない。
言うは易し、行うは難し。
本当に痺れる。
ディランを心酔するファンというのはこういう唯一無二の表現を音楽性に付与するハイブリッドなところ、生き様そのものにこそ感じるところがあるからなのでしょうね。
監督はジェームズ・マンゴールドということで、彼が撮る作品のドキュメンタリー的な部分は非常に好感を持っておりました。
本作でも過剰になりすぎない淡々とした描写の中、楽曲のテンポや良さを損なわないような構図、カット割り。
シームレスに物語をドライブさせ、実際の上映時間(140分)よりも短く感じてしまうほど、興味を損なわせない見事さがある。
歌唱シーンの多い作品だからこそかもしれないが、歌、物語、歌、物語といった間のとり方であったり、ちょうどいい緩急が本当に素晴らしいなと。
直接的な演出などで付け焼き刃的にエンタメ要素を付加するというところが無く、あくまでも正当なライン上での味付けに留める。
素材を活かした調理的な監督的手腕は非常に交換が持てるところですよね。
そのものを理解できるというか、完全にそのものではないけど引き出せるギリギリまで素材の良さを引き出すというか。
家などでの鑑賞よりも圧倒的に映画館映えするような作品であって、初回は絶対に映画館で観るほうが良さがわかる気がします。
脇を固める俳優陣も素晴らしく、エドワード・ノートンがこういう役もこなせるという事も驚きでしたし、最初誰かわからなかったくらいですからね。
モニカ・バルバロもトップガンマーヴェリックで見せた役柄とは異なる、また別の意味で強さを感じさせるところあり、彼女も実際に歌唱していたというからこれまた驚き。
エル・ファニングも表情、嬉々とした部分、凛とした佇まい、それと共存する弱さの表現が非常に絶妙で相変わらず良い女優さんだなと。
ジョニー・キャッシュを演じたボイド・ホルブルックもヤサグレ感と説得力のもたせ具合が見事でしたし、何よりカッコ良き佇まいでした。
楽曲のチョイスや込み入った深い考察などを吟味しつつ、ボブ・ディランというミュージシャンを今一度聴き直してみようと思う、音楽愛に満ちた良作でした。
ちなみに敬愛するタナソーさんが珠玉のプレイリストを作っていたので、これを聴けばディランの良いところをかなり知れるのではないでしょうか。
楽曲を深掘るという意味でも、ボブ・ディランを知るきっかけとしても、音楽が好きというだけでも、音響の良い劇場で堪能できれば、絶対に得るものはあるはずです。
では。