前回に引き続き。
閑静な住宅街にあって、他のエリアと異なり一番不気味な印象だったのが”生活音の無さ”。
田舎的なそれや地方のそれとも異なる生活音の無さ。
これがどこから来るのかわからないわけですが、この田園調布エリアにおいて、住みやすさと共に奇妙な異質さが浮かび上がるというのも実にリンチ的。
行けばわかるあの静けさは、絶妙な異世界感を感じずにはいられないかと思いますので。
先ほどの住宅街から駅に戻り別方向に散策する道すがら、住宅街のさなかに突如年季の入った大木が現れる。
躍動感と神秘性の共存。
住宅街からブラックロッジにでも繋がるのかと思ってしまうほどの存在感が半端じゃない。
そして車のカラーリングと屋根のカラーリングからダークサイドへの傾倒を感じさせる。
肌寒い中にあって陽の光と街路樹のバランス、抜けた通りが郊外の道を彷彿とさせるかのような雰囲気すら含む。
その後辿り着いた公園での木陰と噴水のハーモニー。
水場というと浮かぶローラパーマーの印象から、ローキーに寄せて不穏に撮りたくもなる。
構図を斜めに切り分ける光の鋭利さとハレーションする光の陰翳。
個人的には一番リンチっぽさが表現されたと思っていてのが次の写真で、夕暮れ時にも関わらずかなりダークトーンに寄せて、構図の余白と自らの影をONする。
不気味さと硬質なアスファルトの印象、何故かアンバランスさを含んだ光の裁定にざわつく。
切り株の模様が紋章のようでいて刻まれたディティールと物語をにおわせる。
日差しを極限まで反射させ、芳醇に含んだ空気の圧縮を纏う黄昏。
佇まい、消防団という地場の存在が語らずとも地域のローカライズを助長する。
そして最後に撮ったこちらは夢と現実の狭間、日差しに切り取られた空間の歪みをギリギリの露出で反映する。
場所の特定や物の特定すらも考慮しないその場の空気、撮影者の意図のみが反映された白き霧散。左下の紫が意外にいい味を出している。
では。