『短篇小説講義(岩波新書)』
「短篇小説を書こうとする者は、自分の中に浸みこんでいる古臭い、常識的な作法をむしろ意識して捨てなければならない」。
その言葉どおりに数かずの話題作を生み出してきた作家が、ディケンズら先駆者の名作を読み解き、黎明期の短篇に宿る形式と技法の極意を探る。
自身の小説で試みた実験的手法も新たに解説する増補版。
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何となく最近短編小説に興味が湧き、どういった構成、どういったアイデアから書かれていくものなのかと思っていたところに本著を発見。
筒井康隆と言えば小説や映画など、何作品かは触れており、非常に面白いプロットとアイデアで書く人だなといった印象でした。
その人が書く短編小説の講義は興味がある。
入りとしてはその程度のものだったんですが、意外にもしっかりと個別の作品にフォーカスした内容。そこに自身の考えであったり考察といったものが織り交ぜられ、面白い視点から語られているんですよね。
ただ名作を評論するわけで無く、あくまでも自分目線での解説をしていくという。
そこが魅力的で、有り体の解説が欲しい方からすれば物足りないのかもしれませんが、個人的にはその人独自の視点が欲しいわけです。
「あぁ、こういう風に読むんだ」という気付きこそが欲している視点。
なので、そうしたことを起点として短編の本文を引用しながら解説されていく。この様相はまさに講義ですよね。
取り上げられる作品も傑作ばかりを扱うわけで無く、短編小説の構造が異なるものであったりアイデア的な源泉が異なったりというものから独自のチョイスが成されている。
これもまた良い。
特にトオマス・マンの『幻滅』
これに関しての考察は興味深かった。
「実際、若くして多くの詩や小説に慣れ親しんでしまうと、社会体験皆無であってもなんとなく人生がわかってしまう」というような記述がありまして、これはまさにそうだなと。
これらを総称して「書物に毒された状態」と述べていたのも印象的で、確かに二次元の体験が現実の体験を凌駕してしまうことはむしろ現代の方が多く、だからこそ幻滅へと繋がり、やる気の喪失が起きてしまうのかなと。
このテーマ性をどういった形で落とし込み、結末をどういったところにもっていくのかということに関しては青空文庫などから無料で読めるので是非一読頂きたいものです。
そんな形で他作品に関しても書かれているわけですが、結局のところ何かを真似たところで二番煎じになるだけで、そこにどういったスパイスを利かせるかという視点や発想こそが重要になってくる。
講義と称した著書内でその構図をそのままやって見せる面白さを堪能しつつ、自分であればどういったプロットで話を構築していくのかも考えてみたいなと感じた次第です。
では。