『エイリアン4』
名作SFシリーズの第4作。
前作「エイリアン3」から200年後を舞台に、リプリーとエイリアンの最後の戦いが描かれる。惑星フィオリーナで溶鉱炉に消えたリプリーだったが、エイリアンの軍事利用をたくらむペレズ将軍率いる一派が、残されていたDNAからクローンを生み出し、リプリーは復活する。リプリーの体内に宿っていたエイリアンをもとに宇宙船オリガ号の中で養殖が開始されるが、成長したエイリアンが脱走。オリガ号は緊急事態のため地球へ向けて動き出してしまう。リプリーはエイリアンを地球に降ろすまいと戦うが……。
「デリカテッセン」「ロスト・チルドレン」など独創的なビジュアルセンスで知られるフランス人監督ジャン=ピエール・ジュネがメガホンをとった。
タイトルバックやエンディングのカットなどが異なる数分長い完全版も03年に発表されているが、ジュネ自身は「劇場公開版がディレクターズ・カット」と明言している。
気持ちの悪さで言えばNo1。
Xファイル的な雰囲気を感じさせるオープニングにはじまり、その後の展開も終始不穏さが漂う。
クローズから徐々に引いていく始まりからは、”3”を彷彿とさせるような気味悪さもあり、まさかのリプリー復活やエイリアンとの新しい関係性、バックグラウンドに存在するであろう設定の奇妙さも含めると、奇天烈な印象も受ける。
とりわけリプリーの復活は人間の禁忌、現代にも通じる問題への内在性を感じさせますし、その後の影響、映画に対する設定として先駆け的なニュアンスをビンビンに感じさせられる。
わけのわからない舞台構造なども魅力的で、そこまで複雑というわけでもないながら何故かわけのわからなさが残るような構造が印象的。
バスケコートがあったり、上部への上っていく高さが意外なほどあったり、水没した地下フロアの箇所は特に緊張感もあり、水中の独特さありで良かったですね。
冒険であったり、探索という要素まで満たすという意味では”4”は特筆する奇作な印象もある気がする。
あとはウィノナ・ライダーの可愛さというのもやはり目を惹きますよね。
最初、「誰だ、見たことあるけど名前が」と思っていたんですが、わりとすぐに気付き、若かりし頃はちょっとレベルが違うなと。あれだけショートヘアであの恰好でも隠し切れないキュートさ。そしてまさかのロボット設定というのも驚きでした。
リプリーの試作部屋も衝撃的でした。
冒頭なぜ”8”という番号が附番されているのかと思ってはいましたがこういった背景があったとは。
エイリアンを飼い慣らそうとしたところもそうですし、人間の性というのはどうしようも無く、利の追求へと走ってしまうところを止められないというやるせなさを感じずにはいられない。
結局は道徳心なんていうものを持ち合わせていない権力者や大企業というものに搾取され、資本主義という構造の名のもとに本来的な進化を阻害している仕組みの渦中に生かされている。
リプリー自身がそれらを焼き払ったシーンは妙に感慨深かったです。
そんなリプリー試作の造形も凄まじい気味の悪さで。おそらくはあえて不快に感じるような造形にしているんでしょう。皮肉にも似た気味の悪さを、人間の根底にある気味悪さとリンクさせ、スカッとするやら腹が立つやら。
チーム感のあるやり取りなんかも良いんですよ。
纏まりが無いようで実は繋がりを大事にしている感じ。序盤でのやり取りなどからもその辺は伺えますが、話が進むほどにその様相も強くなってくる。こういう絶望的な展開にとっては良いスパイスになっているなと。
冒頭に書いた気持ちの悪さという最たるものはエイリアンの造形なわけですが、これがまた頗る気持ち悪い。
いつも以上にヌルヌルしていそうな質感とテカリ、滴りなども含め、とにかく気色悪い。
感触として伝わってくるその質感に、エイリアンの異物としての恐怖以上に不気味さを感じてしまうのは細かいディティールから来ているのでしょう。
とまあ気持ち悪さはピカ一、設定の奇天烈さがありつつも全体としてはエイリアンを踏襲している作品でもあり、個人的にはそこまで嫌いじゃないです。
ラストの解釈は完全版と公開版でことなるものになっているようですが、どちらが好みか。
世界観と併せて考えながら観るのもまた一興かと思います。
では。