『妄想代理人』
東京武蔵野で発生した通り魔事件。被害者である月子の不明瞭な供述から、周囲は本人の自作自演によるものと疑う。だが、第二の被害者が出て事態は一変。存在するはずがないと思われていた犯人は“少年バット"として事件を取り巻く人たちを次々と襲っていく。“少年バット"とは一体何者なのか? そして次なる標的は?
『パーフェクトブルー』のような鬱展開となりつつ、アニメならではの映画とは異なる深みを持った展開。
まずオープニングとエンディングですよね。
一目見たEDの印象がラース・フォン・トリアーによる『キングダム』を彷彿とさせるような予告で、次回を暗示しているのかどうかもわからないような不可思議さ。
語り部からして不思議な立ち位置ですし、夢告と呼ばれるあやふやな不確実性も作品世界と見事にマッチしている。
こういう全体への目配せとこだわりも今敏作品には欠かせない部分ですよね。
そして音楽はいつも通り平沢進さんが担当しているようですが、やはりインパクトが強い。OPとEDの対比が強過ぎて、放送当初夜中にやっていたと思うと完全に狂気的だよなと思わされる。
そこから始まるアニメ自体はもっとカオスなんですよね。
一本の筋は通っているのかと思いきや徐々にその軌道を逸れて進んでいく本筋。
なんなら突拍子も無いくらいにぶっ飛んでしまっている回も多く、「これは何を見させられているんだ」という風に思ってしまうようなこともたびたびのこと。
夢と現実ということが中心にある今敏作品の中でも、連作というアニメのフォーマットにはめ込み、その合致性が機能することで、ここまでぶっ飛んだ展開になっていくのかと思わされるほど沼化が激しい。
主軸にあったはずの黄金バットの存在が実際以上に肥大していくという様子を、ビジュアルとして既視化しているのも面白く、プロットを追うのは容易になっているものの、話の本筋はより混沌さの中に埋もれてくる。
まあそれこそが狙いなんでしょうか。
誇大妄想を現実化した時、各々が社会で抱くそれによって埋め尽くされてしまう。
まろみと金属バットこそがそのモチーフであり根源。
世界そのものとしてみると全体像は至ってありふれた日常ながら、その実個々人が抱える悩みや葛藤というものがいかにグロテスクさで溢れているか。
それを表に出さないことで均衡を保っているというのが社会というならば、それは営みとして本当に機能していると言えるのか。
結局のところ真実から目を背けずに向き合わなければ本当の意味での”生”というものを認識できない気がしますね。
人の弱さとやるせなさ、上手く向き合い、闇に取り込まれることに抗わなければ引きずり込まれてしまう。そんな怖さをビジュアルとして、アニメーション化したような作品になっているんじゃないでしょうか。
では。