基本的に漫画原作の映画というのはそこまで好きなではないんですが、こちらは評判良過ぎということもあり行ってまいりました。
結論から言うと、納得しかない完成度。というか予想以上ですよ。漫画の完成度を考えても良く映像的にここまで表現したなと。
『ルックバック』
「チェンソーマン」で知られる人気漫画家・藤本タツキが、2021年に「ジャンプ+」で発表した読み切り漫画「ルックバック」を劇場アニメ化。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」や「君たちはどう生きるか」などさまざまな話題のアニメに携わってきた、アニメーション監督でアニメーターの押山清高が、監督・脚本・キャラクターデザインを手がけ、ひたむきに漫画づくりを続ける2人の少女の姿を描く青春ストーリー。
学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトからも称賛されている小学4年生の藤野。そんなある日、先生から、同学年の不登校の生徒・京本の描いた4コマ漫画を新聞に載せたいと告げられる。自分の才能に自信を抱く藤野と、引きこもりで学校にも来られない京本。正反対な2人の少女は、漫画へのひたむきな思いでつながっていく。しかし、ある時、すべてを打ち砕く出来事が起こる。
ドラマ「不適切にもほどがある!」や映画「四月になれば彼女は」「ひとりぼっちじゃない」などで活躍する河合優実が藤野役、映画「あつい胸さわぎ」「カムイのうた」などで主演を務めた吉田美月喜が京本役を担当し、それぞれ声優に初挑戦した。
漫画原作のある作品って小説以上に画もあるわけで、自分の中にあるイメージとの齟齬が起きやすい気がするんですよね。声優だったり配色だったりも含めて。
ですが本作はいい意味でそれらを昇華し、むしろ別の気付きを与えてくれたというか。
”漫画におけるベストをアニメーションとしてのベストで表現した作品”とでも言えばいいでしょうか。
漫画での表現はあくまでもそれがベストとしてあるんですが、その漫画の良さを消さずに、似て非なるものであり、アニメの良さを最大限に付加したという感じでしょうか。
こういう経験も初めてだったので圧巻だったんですが、あくまでも両者とも独立してるんですよ。ニアなものとして。
漫画には漫画の良さが当然有るわけで、ストーリー、コマ割り、作画、パース、構成、余白、セリフ等々。
それらをアニメで表現するならという視点で考え抜かれ、表現されている。
藤本さん自身が映画やカルチャーというものに非常に造詣が深い方だと思うので、構図のハマり具合というのはすでに映像的であるといえるかもしれませんが、それでもあくまでも漫画内での表現として存在しているわけですよ。
それはそれで素晴らしいんです。
じゃあアニメーションでもそう見せるのかというと、そういうわけでもなく、見せる部分はそうした漫画的な良さを残しつつ、そうでない部分に関してはアニメーションならではの動きの部分や音楽といった別要素で足し算していく。
その解釈と表現の違いがメチャクチャ面白い。
58分という短い時間ながら、濃密な作りで、体感はもっと長く感じるほど。別に長いという意味でなく、あっという間なんですが、なぜかそれくらいだと錯覚してしまうほどの圧倒的密度があるということ。
盛り込まれているディティールや表現に見入ってしまうことでそう感じていからでしょうか。
じゃあアニメとしてどの辺が良かったのかということですが、まずはオープニング。
月からのぐるぐると回転する手書きの作画に、漫画には無いカットから動きのある表現、これですでにグッとアニメというものに引き込まれるわけです。
そこから漫画でも印象的な藤野の部屋での背景ショットに、ルックバックというタイトル登場。
静的であるのに余白や細部に動きやディティールを感じつつ、アニメならではの止め画の幅のある表現から、漫画以上に読み取れるものに見入るわけです。小物であったり、ディティールであったり。
その後も基本、藤野さんの漫画にあるようなラフ味のある作画に圧倒されるわけですが、これも本人が描いているんじゃないかと思ってしまうほど上手い。
苦労とこだわりしか感じない、徹底した表現のディティールに魂が宿るというんでしょうか。
手書き作画が多いというのも、そのこだわりの成果なんでしょう。細部にまでアニメーションとしての意気込みを感じますよ。
画が美しいということもあり、アナログとデジタルをクロスオーバーさせて見せるバランスも良いですよね。
あとは藤野さんの意図した構図の汲み取り方を多分に感じる作りで、水平や垂直を意識したそれに、美しさすら感じるわけです。
アニメでもそういったものを踏襲しつつ、動きのある部分はよりアニメの良さを生かし、パースの効いた動きを加えてくる。あの漫画でも評価の高いスキップシーンもアニメならではの躍動感で。
それと音楽の合わせ方も抜群ですよね。
エモーショナルさを掻き立てるような音楽というのはそうなんですが、それ以上にタイミングが良いんですよ。
鳴らすタイミング、鳴り終わるタイミング、これが絶妙な画の流れと呼応しているといいましょうか。
音楽にしても画作りにしてもそうなんですが、とにかく色々とクリアというのも印象的でした。このクリアさが、作品自体に終始良く作用していて、艶のある映像に魅了される。
題材であったり、描かれ方に賛否両論ある部分もあるかもしれないんですが、個人的にはこの話は”好き”に纏わる話だと思っているので、そういう意味での好きさが存分に伝わってくるところを評価したいわけです。
終盤で京本が藤野に問いかける「藤野さんはなんで漫画を描いているのか?」ということ。
これって言葉で交わす必要もなく、本人が気付いているかどうかに関わらず、潜在的に”好き”だからだと思うんですよね。
才能だったり、努力だったり、そういったことの背景にあるのは”好き”だという事実の裏返しであって、それ以上でも以下でもない。
だとすると、この物語自身の細部に宿っている漫画愛、アニメ愛みたいなものを具現化し、それを緻密に見せてくれる藤野と京本という存在がメチャクチャ輝いて見えるし、泣けるし、考えさせてくれる。
好きなものやことがあるというだけで心底良いなと思わせてくれる。それがただただ素晴らしい。
ルックバックというタイトルに潜む、振り返る、背中を見る、背景を見るという意味合い。そういった行為は全て前を見るためにあって、だからこそ自分の手でそうしたものを昇華し形にしていけるのかなと思うと、”好き”というのは捨てたものじゃないわけで。
京本が選んだ道がそうであったように自分で決めて進ませる動機にある、”好き”ということへの全肯定を称賛したいいし、作中でのifによる世界線というのも希望に満ちたものに見せて、実は結果は変わらなかったんじゃないかとも思えてくる。
だって、ネガティブな選択をした結果じゃなく、その時望んだものから生じた結果だったわけで、選ばない後悔以上に後悔することはないはずだから。
二人共それがわかっている気がして。それをあえてあのifの世界で見せられることで、逆に現実に向かえる気もするし。
京本の部屋の前で行われる四コマのやり取りというのも、アニメーションとして抜群に気持ち良い見せ方だというのは観てもらうとして(スルッと入ってバッと広がる世界が気持ち良い)、その場面でのやり取りこそ、”好き”の交換であり、互いの世界の広がりにおける共感の共有だったのかなと。
とにかく”好き”に満ちた作品。そう考えるだけでもラストのカットも感慨深いものに見えてくるんじゃないでしょうか。
そーいえば藤野の声優は河合優実さんがやっていたんですね。彼女の表現って映画やドラマなどでは知っていましたが声だけでもあれだけの存在感を示せるっていうのは凄いことですよ。
京本役の吉田美月喜さんもあんなたどたどしさや人見知り感を表現できるというのは驚きました。
その辺も含め、アニメーションだけに寄らないあらゆる要素によって表現の幅を広げている作品だなと思うと、ホント全ての総決算ですよね。
いやぁ、漫画を読んでもう一度観たくなってきました。
公開劇場も広がってきているようなので興味のある方は是非。
では。