『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
荒廃した近未来を舞台に妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」(1979)のシリーズ第4作。
85年の「マッドマックス サンダードーム」以来30年ぶりの新作となり、監督・脚本は過去3作同様にジョージ・ミラーが担当。
過去3作でメル・ギブソンが扮した主人公マックスを、新たに「ダークナイト ライジング」「インセプション」のトム・ハーディが演じた。
資源が枯渇し、法も秩序も崩壊した世界。愛する者を奪われ、荒野をさまようマックスは、砂漠を支配する凶悪なイモータン・ジョーの軍団に捕らえられる。そこへジョー配下の女戦士フュリオサらが現れ、マックスはジョーへの反乱を計画する彼らと力をあわせ、自由への逃走を開始する。
フュリオサ役でシャーリーズ・セロンが共演。第88回アカデミー賞では作品賞、監督賞ほか10部門でノミネートを受け、編集、美術、衣装デザイン、音響編集、録音、メイクアップ&ヘアスタイリングの合計6部門で受賞を果たし、同年度では受賞数最多作品となった。
今までなぜ本作について書かなかったのか。
公開当時、これほどまでに強い衝撃と影響を受けるとは思わず、今なお自分の血肉となっていると気付かされたのは新作公開を経て、再鑑賞した今だった。
あの時色々あったんですよね。プライベートで。
自分自身が怒りのデスロードだったと言っても過言では無く、映画館で観た回数も5回と群を抜いて多かったのはこういうことだったのかと、今だから思える。
もう周知のことだと思うんですが、本作のプロットはいたってシンプル”行って帰って来る”ただそれだけ。
それなのになぜこんなにも魅了されてしまうのか。
久々に観て改めて思ったのがまず、映画自体が何もないように見えて、骨格がしっかりあるということ。
上っ面を見れば、単なるアクション映画の心地良さを楽しんでいたようであり、それでも十分楽しいわけでですが、よくよく観るとメチャクチャ良くできてる。
細部の作り込みだったり、語りの丁寧さだったり、感情の起伏の掬い取り方だったり、タイミングだったり、サウンド表現だったり、構図だったり。
細かいディティールに気付けば気付くほど、良く練られているなと感心するわけです。
このシンプルに見えて執拗に練られているというのは実はすごく難しいところだと思っていて、料理なんかでもシンプルな料理こそ難しいって言うじゃないですか。それに近い極限の難しさがあるはず。
終始クライマックスと言われているのも観れば納得で、冒頭のマックスがバシッと映るオープニングに始まり、観てるこっちも「始まるな!」と気合が入るわけですし。
それを裏切らない勢いのオープニングもさすがですよ。あのトカゲみたいなのがマックスのもとに寄っていき、踏まれるところなんて、サウンドメイクの際立ちが半端ないですし。
そこからの脱出劇もドライブ感が凄まじい。コマ落としの効果も相まって序盤とは思えない疾走感ですからね。
既にここで脳内ドーピングは完成。
そこからも緩急ある映像ながら、確実にテンションは高めだし、間の部分が良い緩衝材になっており、心地良いライブを見ているような高揚感が続いていくんですよね。
先に書いたプロットの無さを補完しているのがプロット以上の物語性だと思っていて、これも映画の特性を存分に生かしたもの。
プロットがシンプルでも内包されている個別の物語って絶対にあるわけだし、それをどう関連付け、表現するかだと思うんですよ。
それがかなり高次元で成されていて、それが映像の緩急とリンクしてくる作り。
続編にも繋がるところではあるんですが、本作からは”目で語る”というのが非常に重要なファクターとして機能してきますよね。
マックス自体、口数が少なく、元々会話が少ないシリーズだとは思うんですが、このフューリーロードからは目で語ることの重要性が一層増していると思うんです。
それは演者全員に言えることではあるんですが、その情報量も多くて、全員が素晴らしい目の演技をしている。
特に痺れたのは終盤でのカーチェイスシーン。フュリオサが刺され、もう駄目かもとなり、マックスと視線が合うところ。
ここなんて何も語らないのに感情がバシバシと伝わってくるんですよ。何度観てもグッときますよね。
ただそんなシーンがざらにあるのが本作。
エモーショナルな訴えかけの多さとその自然さも魅力的なんですよね。
過剰な演出にならず、あくまでも自然に映し出されている感じ。ブルースリーよろしくな”Don't think! Feel.”。
映像のドライブ感が物語のドライブ感とリンクし、相乗効果で怒涛のエモさを置き去りにしていく。
感じているのを実感する暇もなく、気付いたら感じていたみたいなそんな感じですかね。
このスピード感っていうのも肝なんですよね。全てが高速に展開していくのが妙に心地良くて。没入感を得られるのもこういった色々なファクターがミックスされてこそなのかと。
それにより唯一無二の映像的多幸感が満ち満ちている。
画作りの部分もそうですよね。
会話でなく、画で説明されている情報量が多いのなんのって。
構図などからもその意図を感じますし、メッセージ性を感じさせるショットも多い。
時折出てくるロングショットで全体の状況を感じさせ、クローズでディティールや臨場感を語るなんていうのもそういったメッセージ性を感じさせますよね。
あとは徹底してこだわった編集に、色のトーンへのこだわり。CGを使いつつもベースは生身にこだわるという半端ない作り込み。
確かCGが使用されているのは嵐のシーンだけだったんじゃないでしょうか。それくらい実写にこだわり、リアリティが徹底されている。
正直この迫力は”生”じゃないと出せないですよ。というかやっぱり伝わってきちゃうんでしょうね。感覚的に。
こちらの映像なんかを見てもその辺の感覚は尋常じゃない。
生身のリアリティって映像だけじゃなくて物語を語る上でもそうで、生活していても実体験から語られる物語と伝聞や机上でのそれって全然違うじゃないですか。
これこそが圧倒的なリアルの差なんですよ。
それを感じさせてくれるという意味でもこの映画は最高なわけですよ。
リアルというところで言うと、出てくる美術にもこだわりしか感じないんですよね。
これもこの世界に存在しているリアルそのもの。カッコいいし、この世界の人物たちを存在させるのに必然性を感じる、ディティールの魅力があるなと。
車や武器、衣装や小物なんかもそう。全てに至るまで練られに練られている。これに関してはどれが素晴らしいとかですら無く、どれも素晴らしいんですよ。
スターウォーズなんかもそうですしDUNEもそうだと思うんですが、設定や背景、出てくる物のディティールが気になる映画っていうのはその時点で名作確定なわけです。あくまでも個人的にですけどね。
その世界を知りたい、堪能したいって思わされるって、それだけ世界観の構築が緻密に行われている証拠だと思うし、魅力があるからだと思うんですよね。
マッドマックスなんて、狂気しか無い、絶望的な世界なのになぜこんなに惹かれるのか。それこそ世界観がこれだけしっかりしているからでしょう。
そーいえばネーミングセンスも抜群ですよね。
人名にしろ場所の名前にしろ、固有名詞が抜群にカッコイイ。面白いのがそれでいて別に小難しい名前を使ってないところが最高。
ネーミング通りというか、別に狙った感じがしないのになんでここまでカッコ良く、キャッチーなネーミングを付けられるのかも不思議ですよね。こういった部分は全ての作品に共通するので、確実にジョージ・ミラー監督のセンスなんでしょうけど。これも作品全体のスパイスとして良く機能している気がします。
キャラクターの造形や設定なんかもそうですよ。
漫画やアニメ的なのに実写でこそ見たいと思えるような作り込み。これもキャッチーで愛くるしいキャラが多いのなんのって。
作品内ではニュークスが一番お気に入りですかね。入れ込み度で言うとマックスの方がそうなんですけど、キャラ的な好き要素としてはニュークスの方が上でして。
あの間抜けでピュアで気概もあるっていう謎なバランス感。愛くるしさも含めて、最高にクソ。
ジョー様にピストルもらって、ウォータンク飛び乗ってからの展開とかマジ何度観ても笑いますし、そこからの展開もニュークスならでは。そして最後の散り方ですよね。今まではジョー様の為に命を捧げ、「俺を見ろ」と言っていたウォーボーイズが最後にはケイパブルに対して同じセリフを言うっていう胸アツ展開。
言っていることは同じでも意味合いは全く違う。この作品通してそうだと思うんですけど、人って誰かを思う時こそ強い動機になり得るんだなということを痛感させられる名シーンでした。
そして個人的になぜこの映画がドハマりしたのか。それがようやくわかりましたよ。
作中でマックスが言う、「希望は持たぬことだ。心が壊れたら、残るのは狂気(MAD)だけだ」というセリフ。
まさに自分がこの状態だったんですよ。
じゃあそこに共感しただけなのかといえばそれも少し違って、そう言っているマックス自身が作中で希望を少なからず抱いていたからだと思うんですよね。
序盤で脱出しようとした時も、車に括りつけられていた時も、フュリオサから車を奪った時も、逃走している時も。
そして終盤での引き返すことを勧めるシーンで希望を与えたところから最後の輸血まで。希望は繋がれ、紡ぐことが出来るんだと思った時、自分の中のMADな感情も昇華されて気がしたんですよ。
いや、逆ですかね。MADでも何でもいい。とりあえず自分に正直に、難しいことは考えずシンプルに信念に従うだけでいい。ここに偽善や忖度も必要無いし、人の目を気にする必要も無い。
誰が正しいとか正しくないとかそんなことすら関係無く、狂気に染まりつつも抗う。
その先にある僅かなものこそが必要なものなんだと。
結局人は希望を完全に諦めることも出来ないし、そうすべきでは無いと思うんですよ。それをああいう画で、体験で見せられたら、そりゃ特別な経験になりますよ。
とまあこんな感じで9年ぶりに新作が公開されたのでいい機会でした。
ちなみにですけど、この作品も初回の鑑賞が非常に重要な作品だと思いますので、出来るだけ良い環境で見ることをオススメします。
では。