この作品以前どこかで紹介されていて気になっていた漫画の一つだったんですよね。
「【SF漫画】幸せの価値観を問いかけるSF作品『ロボサピエンス前史』」
未来。ヒトと同じようにロボットが闊歩する世界で、ヒトは、ロボットは、どう生きるのか。
手塚治虫文化賞新生賞受賞作家が描く、科学と心で紡がれた、ロマンティック・フューチャー。
Aiの進化であったり、ロボットの進化というのは急速に進んでるなと思うわけですが、未来にどういうことが待ち受けているか、考えたことが無かった気がします。
微かな想像というか、なんとなくの部分は見えていたような気もするんですが、とにかくその程度の感覚というのが正直なところなわけでして。
本作を読み、漫画的にその未来像を見せられると、映画や小説とも違う、なんとも言えない余韻が残るんですよね。
人は結局”なんのために生きるのか”。
究極のところ、その目的なんて無いわけだろうし、それ自体が目的になっているとも言える気もしている。
結局、荒唐無稽なものを理想のみで追求し、果ては手段と目的が逆転するようなことになるのかなと思わされたり。
”幸せになるために”という目的の元、真に正しいものは既に存在していたんじゃないか。
直線と曲線がいかにもな近未来的作画によって構築された世界観、無機質なタッチと表現の起伏の無さが生み出す独特の雰囲気。
感情というものを奪われたような登場人物たちの描き方からなのか、得も言われぬ実感の伴わない世界を想像させる。
柔らかい印象のトーンを残しながら、無機質さがそれを凌駕するといいますか、釈然としない不確かさがあるというか。
ロボットに感情というものを埋め込むのは難しいのかと思う反面、表情などの外見からで無く、内面的に備えているそれらに徐々に気付かされていく感じ。
先天的では無いのかもしれないけど、知性を備えることで、ニュアンスとしての感情は抱いている気もする。
手段と目的が逆転したような、半永続的で想像可能な未来像。
これって実際幸せなんですかね。
時間の概念って様々なSFなどでも取り扱われ、それをいかに表現としてコントロールし、認識するか。
一見すると不必要に感じ、メリットは何も無いと思えるような時間そのものの見え方が変わる気がしますし、有限だからこその知覚が出来ているのかもなと。
何かを思い、何かを考え、何かをするってことは、時間を使い、時間が必要だからこそ徐々に積もっていくもの。
そうだとするとそれを一瞬で、もしくは永続的に捉えた場合はどこに達成感や満足感を満たすことが出来るのだろうか。
人間とロボットは違うのか、それとも一緒なのか。
始まりは違えど、到達する終着点は一緒なのかもしれないと感じさせてくれるような独特な視点を、無機質なタッチで描いている面白さ、長尺で観た時の歴史みたいなものを感じさせてくれる作品でしたね。
では。