「未完の武士道から感じる古き良きメンタリティ:『死ぬことと見つけたり』」
上下巻にわたる物語で、終盤は作者が亡くなってしまったため未完となっている作品。
著者の有名な作品といえば「花の慶次」といった外連味たっぷりのド派手でインパクトのある物語や画が真っ先に浮かぶと思うんですが、これはそこまでそういったものでは無いんですよね。
物語における外連味はあるものの、どちらかというと外側というより内面志向。
テーマとしている葉隠という書物をもとにしているんですが、この解釈と描き方が独特で、あまり見ないポップさがあり、痛快なドラマとして描かれている気がします。
ちなみにその葉隠というのがどういうものかというと。
『葉隠』(「隠し葉」または「隠し葉の書」などとも呼ばれます)は、日本の江戸時代に著された武士の道徳や行動指針に関する書物です。著者は山本常朝(1659-1719)とされています。この書は主に忍者や武士階級向けに書かれたもので、武士道や生きるための知恵、戦闘における心構えなどが記されています。
『葉隠』は非常に短い文章で構成され、随筆的な性格を持っており、武士の精神的な修養や忠誠心、決断力、戦術などに関する様々なアドバイスが含まれています。この書は武士の生き方や戦闘の原則を通じて、日本の武士道精神を伝える貴重な文化遺産として評価されています。
自分も含め、歴史ものに馴染みが無いと、家柄や人名、地名や要職が頭に入りにくいと思うんですが、本作では意外にシンプルな登場人物にまとまっており、主人公を中心とした物語を追っていけば枝葉はそれなりに頭に入ってくるんじゃないかと思います。
こうした作品における長編作品の良いところが、読み進めるうちにその世界観が自然と入ってくるというところ。
わからなくても読み進めると徐々に理解出来てきますし。特にこの作品は展開がドラマチックなので、水戸黄門や鬼平犯科帳といったようなテレビドラマのようにテンプレがしっかりしており、お決まり感があるのも読みやすい部分なのかもしれません。
それに加えて主要人物たちの心持ちが響くんですよ。
葉隠を元にしているからということもあるのかもしれませんが、芯が通ったような現代にはあまりいないタイプだからこそ醸し出されるヒーロー感。
歴史モノの醍醐味はこういう部分にあると思っていて、現代において希薄になってきた側面を見たいという部分を刺激され、そういった感じがヒシヒシと伝わってくるかと思います。
全体を通してオムニバスのような形式で進んでいき、その渦中で色々と見えてくる感じもあり、短編の連続が長編の物語になっているような印象。
あくまでも物語のベースとして主人公たちの生き様が描かれ、その人間性や関係性を肉付けしていくような展開ですかね。
となると作中で誰の生き様に共感できるのか。
杢之助、萬右衛門、求馬。その他の人物にフォーカスを当てるもよし。個人的にはやっぱり杢之助に惹かれますかね。
本作のタイトルの元にもなっている、「死ぬことと見つけたり」、毎朝「死ぬ鍛錬」を欠かさない葉隠武士であるという設定に、男としてカッコ良さを感じてしまうわけですが、闘うこと以外に興味も能力もない根っからの「いくさびと」というのも男ならグッとくるところがあるんじゃないでしょうか。
普段はひょうひょうとしているけど、やる時にはやるし、自分の軸がぶれないからこそ、忖度抜きで判断、行動する男気。
だからこそ人に慕われ、女性に好かれ、信頼を勝ち取れる。
このわかりきったことを地でいける杢之助だからこそ、この物語が成り立つのかもしれません。
その物語も臨場感ある描かれ方がされており、合戦や死闘のリアルさもありつつ、陰謀、策略、政治、友情、こういった部分も楽しめる作りになっているかと思います。
特に友情の部分が良いですね。
友情以上とも思えるような信頼関係であったり、覚悟。こうした儀があるからこそ成り立つ真の関係性が痛快だし、ハッとさせられるんですよ。
覚悟があるからこそ出来ることってやっぱりあると思っていて、ぬるい覚悟でなく、真の覚悟だからこそのオーラのような切迫感。
自分もそうなりたいものです。
冒頭にも書いたんですが、この小説は未完なんですよね。
終盤での割と良い部分で終わってしまうんですが、この余白も考えようによっては、良い余韻なのかなと思えてきたりします。
主要人物たちのその後を思い、想像を膨らませ、最後を思う。
人生における人の終わり際を感じるようなリアリティがあり、未完だからこそ得られるような気もしています。
旧来のメンタリティを知り、気概を知る。そんな古き良き部分を感じることのできる良作でした。
まずは毎日起床後の「死ぬことのイメトレ」から始めてみようかなと思います。
では。