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ベネデッタ

生き残るという生き方。

『ベネデッタ』

ポスター画像


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氷の微笑」「ロボコップ」の鬼才ポール・バーホーベン監督が、17世紀にレズビアン主義で告発された実在の修道女ベネデッタ・カルリーニの数奇な人生と彼女に翻弄される人々を描いた伝記映画。

17世紀、ペシアの町。聖母マリアと対話し奇蹟を起こすとされる少女ベネデッタは、6歳で出家してテアティノ修道院に入る。純粋無垢なまま成人した彼女は、修道院に逃げ込んできた若い女性バルトロメアを助け、秘密の関係を深めていく。そんな中、ベネデッタは聖痕を受けてイエスの花嫁になったとみなされ、新たな修道院長に就任。民衆から聖女と崇められ強大な権力を手にするが……。

「おとなの恋の測り方」のビルジニー・エフィラが主演を務め、「さざなみ」のシャーロット・ランプリング、「神々と男たち」のランベール・ウィルソンが共演。2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

ヴァーホーベン映画ということで予想はしていたんですが、それは予想通りで。

基本的にどんなものを撮っても真実性は失わない監督がヴァーホーベン。この”だってそうでしょ”といった感が好きなわけですが、80歳を過ぎたとは思えない生々しさ。

視聴時間中、常に胃がキリキリするような緊迫感が漂う。これは何なんでしょうね。いつ何が起きるかわからないような映像の撮り方がそう思わせるのか、はたまた何時でも予想以上のシチュエーションを突きつけてくる監督だからそう思うのか。いずれにせよ、とにかくハラハラしっぱなしの131分間。

それにしてもヴァーホーベンは本当に世界観の構築が上手いですよね。

真実性を突きつけてくる別側面として、こうした世界観にも真実性を付加してくるから抜かり無い。

1600年代のお話とあって、中々難しいところもあるはずなんですが、序盤の街並みや、修道院の風景、そこで演奏される楽曲との調和が見事で、起きている時代性を信じられてしまうほど、空気感がよく出ている気がしました。

この話、実話にある史実をベースに作られているようなんですが、その辺の盛り方や削り方もヴァーホーベンらしい仕上がり。

提示しなければいけない事実を提示しつつ、盛るべきところは盛る。逆に映画の構成上生じるもたつきは削り取るという感じ。

忖度ない事実を見るためにヴァーホーベン作品を観ているというか、現実というものをどう受け入れれば良いのかといった抽象的な気付きを得たいというか。

その意味でこの時代というのは本当に男尊女卑が顕著だったということを感じますし、逆に階級間でも格差も顕著だったんだなと。

人って結局はエゴと保身で生きてるわけで、いかに正論を振りかざそうとも、いかに潔白であろうとも、最終的には役に立たないかもしれない。

そうありたいと思うのは間違いではないのだろうけど、結局生き残ったものが勝ちでしょ、この世界は。ヴァーホーベン作品を観ているとホントそう思わされるんですよね。

確かに不条理だなと思うことなんて腐るほどあるし、無くなることは絶対に無いんだと思います、だからこそ生きる為には清濁合わせ飲んでもサバイブしなくちゃいけないんだろうなと。

その意味で言うと本作のベネデッタは完全に目的を達成した。

これが良いとか悪いとかそういうことでは無いんですが、まぁその過程と見せ方が気持ち良いんですよ。

自分なりの信念だけで突き進む感じ。だって、どんな所に収まってたって、絶対に軋轢はあるんですから、それなら確かめてみるのは悪く無いと思えてしまう。

映画ならではというところでもありますけど、これが史実というから尚更驚き。

個人的に神やらなんやらといった信仰は無いのですが、なぜ人は何かに縋りたくなってしまうのか。当然答えが欲しいから、であるとか、頼れる何かが欲しいから、ということになるんでしょうけど、この時代を見ても信仰という名のビジネスにしか見えないですし、言ったもん勝ち、作ったもん勝ちにしか見えない。

だってベネデッタを修道院に預ける件なんて、ビジネス以外の何物でもないほど、善意や信仰の類を感じない。

それなのに現代に至るまで人は神話や神を信じ、信仰を行い続けている。

改めて思うんですが、そういった組織の頂点、実社会でいうところの上司や社長なんかにも言えることですが、その人達も所詮は同じ人じゃないですか。どれだけ取り繕おうと、努力しようと、結局は欲にどれだけ抗えるかでしか無いと思うんですよ。

そう考えると徳を積み、自分を律し、それでもなお足掻き苦しみ、生き残る。要するに偉い人が偉いわけじゃなく、蔑まれている人がダメなわけでもない。単に生き残っているから”徳が高い可能性がある”というただそれだけのことだと思うんですよね。

そうしたヴァーホーベンの衒いない映画制作の姿勢はホント心打たれますね。

ハッキリ言って万人にオススメできる作品では無い。

糞をするシーンをリアルサウンドと共にお送りしますし、性的絡みも遠慮無し。拷問だってしちゃいますし、怪我や人の死に方もそのままにお届け。

特に拷問シーンがそうでしたが、そこまでの過程というか、話の運び方、脚本上の流れなんかが上手いこと積み上げられ、嫌な気分しかない作り(褒め言葉)なんてそう作れるものじゃない。

要するに現実って思うほどキラキラしたものでもなければ、希望に満ち溢れたものでもないのかもしれない。

でも、生きるからにはやったろうじゃないの。そう思えるような変な活力が湧いてくるんですよ。ヴァーホーベン作品を観ていると。

演者の演技力も素晴らしく、特にベネデッタ、フェリシタ、バルトロメアは良かった。否応なく表情に出てきてしまう感じであるとか、佇まい、場の空気を伝える媒介者としての役割を良く担えていた気がします。

その意味ではフェリシタの娘、クリスティーナもあの絶望を感じるシーンでの何とも言えない表情は素晴らしかった。

とにかく全編にわたって、当時の現実というものを否応なく突き付けてくる痛々しさ。それでも生きるという姿を見た時、綺麗事では片付けられない、何とも言い難い何かを得た気がします。

やっぱりヴァーホーベンは凄いですね。改めて過去作も観返してみようかなと思います。

余談ですが、原著『ルネサンス修道女物語―聖と性のミクロストリア』は絶版になっており、読むのは難しいかもしれませんが、意外に読み易く、歴史書にしては読み易いとのこと。

下の動画もかなり興味深く、やはりこの御三方の話は面白い。興味がある方は是非観てみると、一層ヴァーホーベンに関して深く知れるかと思います。

では。


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