人は相性が全て。
『殺さない彼と死なない彼女』
SNS漫画家・世紀末によるTwitter発の人気コミックを、「帝一の國」の間宮祥太朗&「ママレード・ボーイ」の桜井日奈子のダブル主演で実写映画化。
何にも興味が持てず退屈な日々を送る男子高校生・小坂れいは、教室で殺されたハチの死骸を埋めているクラスメイト・鹿野ななに遭遇する。ネガティブでリストカット常習犯だが虫の命は大切に扱う彼女に興味を抱く小坂。それまで周囲から変人扱いされていた鹿野だったが、小坂と本音で話すうちに、2人で一緒に過ごすことが当たり前になっていく。
出てくる登場人物はどこか皆変わっている。それがまずもっての第一印象。
でも実際の社会を見ても絶対的な”普通”なんて存在しないわけで、そんな変わった部分があっても、そこに共感を持ってくれる他者もいるのかもしれない。
そんな捻くれ者にこそハマそうな作品。
原作を全く知らないで観始めていたんですが、どうやらツイッター発のコミック(四コマ漫画)が原作なんですね。
ストーリーとしてはざっくり、3組の恋愛劇が並行して進んでいく青春恋愛モノのような作り。
ただし、蓋を開けて見れば、単純な恋愛ストーリーでは無く、色々と変な形で転がっていく物語。
ホント一見すると高校生の学園もの恋愛映画に見えるんですが、まあタイトルからしてこのタイトルですからね。そりゃ変な作りに決まっているんですが。
それなのに不思議なもので、なぜか鑑賞後は感動してしまう。
突拍子も無い展開に設定、それなのに良いセリフがちょいちょい出てくる。しかもそのテンポ感や言い回しなんかもどこか演劇のようで、なんとなく癖になるような独特な雰囲気があるんですよね。
この変な展開が続く中、一貫して気になってくるのが『思い』についての捉え方。
人って自分では普通だと思っていることも、相手からしたら変だったり、逆に自分では変だと思っているところが、相手からしたら良かったり。そういうことってよくあることだと思うんですよ。
でも考えてみれば、本当にどう思っているかっていうのは実はわからなくて、そう見えることを頼りにして、あくまで推測で無意識に仮定し、認識していく。
これって言い変えると”気遣い”だったり”思いやり”だったり”遠慮”だったり。そうやって場の空気を悪くしないように、その場が丸く収まるようにと思って取り繕っている。
誰もがそうやってやり過ごす中で、時折そうじゃない誰かと出会うことがある。
そんな瞬間を鮮明に描いたような、ある種哲学的でいて、有り触れた日常のありえない日々を描いたような作品。
実際タイトルにあるような”殺さない彼”と”死なない彼女”が出てくるわけですが、これもまたどこまでがそうなのかはわからない。
他の登場人物達も同様で、とにかくわからないけど、わかりあえちゃう何かがあるから一緒にいたいと思う感じ。このふわっとしたような感情のはずなのに、絶対的な必要性があるところこそ、本作の醍醐味なのかなと。
映像的にもこのふわっとしたようなソフトフォーカスが多用されており、自然光による優しい光に包まれるところもこの空気感を再現しているかのようで、緩さとも違う、浮遊感に似た感覚を得られる。
時系列の演出も中々驚かされる作りで、この時間の隔たりと、心の隔たり、昨今のタイムリープや、タイムトラベルものとも違う、この映画ならではのズレみたいなものが良く作用し、気付きと共に、良く練られているなと思う。
終盤畳み掛けるような展開と答え合わせが起きるわけですが、このあたりでのカットの繋ぎが個人的にはかなり好き。
ある種ぶつ切りのようでいて、唐突に時間がカットされるような感覚。時と思いはそれこそいつもその断続的な分断の中で起きるものだし、それらが一貫して紡がれていく感じも何だか心地良く、単に「そういうものなんだよな」と思わされたりした。
とにかく全てが”変”。でも、その個々が抱える変さこそが生きる意味なのかもしれないと思える、独特な一本。
主演の間宮祥太朗と桜井日奈子が抜群にハマり役だったのもそうだし、他の演者もメチャクチャ良い感じにハマっている。
ベタベタな青春恋愛劇と思って敬遠している方にもこの感覚が何なのか是非味わってほしいものです。
漫画も気になるところで、試し読みしてみたんですが、やはり面白い。テンポとコマの使い方なんかも含め、これは全部読みたいですね。
では。