それぞれの思い出、ちょっと立ち止まってみる瞬間があっても良いと思う。そんな夜もあったり。
『ちょっと思い出しただけ』
「バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画をつくったら」「くれなずめ」など意欲的な作品を手がけ続けている松居大悟監督のオリジナル脚本を、池松壮亮と伊藤沙莉の主演で映画化。
ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観が自身のオールタイムベストに挙げる、ジム・ジャームッシュ監督の代表作のひとつ「ナイト・オン・ザ・プラネット」に着想を得て書き上げた新曲「Night on the Planet」に触発された松居監督が執筆した、初めてのオリジナルのラブストーリー。
怪我でダンサーの道を諦めた照生とタクシードライバーの葉を軸に、様々な登場人物たちとの会話を通じて都会の夜に無数に輝く人生の機微を、繊細かつユーモラスに描く。
鑑賞後にタイトルを見た時、それこそ『ちょっと』という意味が何となく分かった気がした。
思い出って日々思い出すものでも無いし、意識して思い出すものでも無く、ふと思い出してしまうものだったりするわけで。
そんな本作を思い出すうえで重要なファクターになっているのがその物語の構成。
時系列がバラバラなようであって、かなり秀逸に練り込まれている印象があり、そのあべこべな時系列こそ、想い出にある様な雑多な記憶の集積に似ていると感じる。
映画を観終わった後に頭の中で徐々にほぐれていく感覚。
あの頃良かったよなとか、何であの時あんな対応しちゃったんだろうとか。そういった複雑な心情が、見事に表現されていてこれは凄いなと。
あと、冒頭からオマージュを超えたオマージュを感じさせるナイト・オン・ザ・プラネット感。感というよりそのものに近いような印象すらある。
ジム・ジャームッシュ作品の中でも好きな作品で、ウィノナ・ライダーがとにかく可愛く、あのバランス感覚がとにかくツボなんですよね。
恰好や仕草、ウィノナ・ライダーの可愛さの全てが詰め込まれたようなビジュアルと、あの物語設定。
夜も真夜中、あの時間帯の街ってどことなく好きで、なんというか普段と違う空気感があるというか、寂しさとは違った街独特の哀愁があるというか。とにかくセンチメンタルな気持ちにさせられるところがあって、今でも好きなんですよね。
そこに相性抜群なタクシーという展開もそうで、真夜中にタクシーに乗る人なんて絶対に普通の生活をしている人のわけがない。
その人自身が普通かどうかでは無く、あくまでもそのシチュエーションからそう思わされてしまうということ。
悩みだったり、葛藤だったり、願望だったり、色々なことを抱え、吐露したくなるのがその時間のタクシーなんじゃないですかね。
そんな作品がここまで露骨にオマージュされているとは。
部屋のポスターに始まり、日時を表す時計付きカレンダー、カットの割り方や設定に至るまで。細かいディティール表現やシチュエーションまでとにかくオマージュが尽きない。
それなのに映画全体としては日本らしさとオリジナリティある作りになっており、単なるオマージュに寄らないところもグッドセンス。
同一カットをタイム感ずらして見せる画作りはエモさをドライブさせる気がして、良い演出だったように思います。
見慣れた景色が徐々に変わっていく、日常って劇的に変わることはそう無くて、それこそ些細な変化の積み重ねによって感じ方が変わっていくんだと思うんですよね。その表現としての同一ショット。あれは誰しもがなにかしら似たような経験をしているんじゃないでしょうか。
結局物語って人と人がいて始まるものだし、それは偶然なわけで、そんな日々の積み重ねの中でこそ起きる一瞬の化学反応的な出来事こそが物語。
これって別にその物語性の大小は関係なくて、その時自分がどう感じ、どれだけの影響を受けたのかということだけ。
そんな誰にでもあるけど誰にも無い物語。
映画として見せられることで、各々の心当たりみたいなものに気付かせてくれるところもこういった作品の魅力なんじゃないでしょうか。
ちょっと思い出しただけ。今だから言えること、今はまだ言えないこともある中で、ゆっくり向き合うことも必要なのかもしれませんね。
では。
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