感覚的視聴もありかと。
「パリ、テキサス」のビム・ベンダース監督が10年ぶりに祖国ドイツでメガホンをとり、1987年・第40回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した傑作ファンタジー。
壁崩壊前のベルリンを舞台に、人間に恋してしまった天使の運命を、美しく詩的な映像でつづる。人間たちの心の声を聞き、彼らの苦悩に寄り添う天使ダミエルは、サーカスの空中ブランコで舞う女性マリオンに出会う。
ダミエルは孤独を抱える彼女に強くひかれ、天界から人間界に降りることを決意する。
ブルーノ・ガンツが主演を務め、テレビドラマ「刑事コロンボ」のピーター・フォークが本人役で出演。
脚本には後にノーベル文学賞を受賞する作家ペーター・ハントケが参加した。1993年には続編「時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!」が製作された。
名作と知りつつもこれまた観れていなかった作品の一つ。
観て率直な感想は長くて抽象的でなんとなく洒落た感じ。
思っていた以上に詩的な脚本に、淡々と進む物語。ヴェンダースらしい画作りは存分に感じつつも、本作は予備知識や当時の時代背景無しで観るのは少々難しかったのかもしれない。
それでもフィーリング的に刺さる部分はあって、まずオットーザンダー演じる天使カシエルがカッコ良すぎということ。
ヨウジヤマモトと親交があったこともあり、そのヨウジを見に纏ったカシエルの佇まいと存在感たるや。渋くてクール。
天使というと子供であったり赤ん坊、美男美女なんかが真っ先に浮かびそうな中にあってのおじさん天使達。
そうなんですが、カシエルはある種の天使らしさも持ちつつ、とにかくクールに映るんですよね。あの格好は自分の年齢的にも是非真似したくなりますね。
服にスタイルがあるように、映画にもスタイルがあり、世界観がそれらをまとめ上げる。
その意味で言うと作中に出てくるニックケイヴの使い方も抜群にハマり役。
ナイトクラブでのシーンかつ、あのシチュエーションならではのアーティストとしてはかなり良いチョイスだったんじゃないでしょうか。
どことなく妖艶でムーディーな存在感。楽曲の詩的性も作品と合っていますし、これまた世界観との親和性が高いかと。
撮影に関しても天使の視点として描かれている見せ方がファンタジックで良いなと思いました。
モノクロで描くことで無味乾燥な、感覚的影響を感じない天使の視点を表現し、カラーで人間の五感性を表現する。
それと共にに空撮や手持ちのアンバランスなショットによるふわふわした天使らしい浮遊感も心地良かった。
視点が逐一変わり、天使の自由に動き回り、世界を捉えるということを主観的に体験できたのは今見ても面白い撮り方。
冒頭に言った抽象性みたいなものもこの天使視点によるところが大きいんだろうなと思っていて、それに加えての詩的な作品性とのハイブリッド。
この二つによる複雑さが作品自体の難解さを増している気がするするんですよね。さらにその下敷きとしてある時代考証も加味しないと深くは理解できないわけでして。そうした肌感覚で感じられ無いところにも観るのを複雑にしている要因はあるのかなと。
それら諸々を踏まえても作品の持つ普遍性も感じました。
戦争、虐殺、差別、個人が抱える悩み、鬱屈とした雰囲気、立ち上がるべくは自分であって、他人では無い。
天使が自分の気持ちで変化したように我々も思えば変われることがあるということに気付かされたことは間違いないところでしょう。
作品内でたびたび出てくる「子供が子供だった頃」と言うワード。もう戻れ無いし、その時の無垢な感情を取り戻すことはでき無いかもしれ無いけれど、確実にあったシンプルな感情。
何かをしたいとか、何かが好きとか、そうしたポジティブな欲求に突き動かされ夢中で何かに取り組んだこと、他者を蹴落としたり、否定したりするのでなく、ただ自分が熱中できる事だけにフォーカスした気持ちを呼び起こせるのもそれぞれ自分自身だけなのかもしれないですね。
ダミエルが感覚のある人間になった時感じていたのはそんなシンプルなことだったのかもしれないと思うと、身につまされる終盤への展開だったかもしれません。
時間を置いてまた観てみたいと思わされるようなそんな作品でした。
では。
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