ブランドとは一体何なのか。
『ハウス・オブ・グッチ』
巨匠リドリー・スコット監督が、ファッションブランド「GUCCI(グッチ)」の創業者一族の崩壊を描いたサスペンスドラマ。
サラ・ゲイ・フォーデンのノンフィクション小説「ハウス・オブ・グッチ」を原作に、グッチ一族の確執と3代目社長マウリツィオ・グッチ暗殺事件を描き出す。
1995年3月27日、GUCCI創業者グッチオ・グッチの孫にあたる3代目社長マウリツィオが、ミラノの街で銃弾に倒れた。犯人の特定が難航する中、犯行を指示した驚きの黒幕が明かされる。
マウリツィオの妻で、グッチ家の崩壊を招くパトリツィア・レッジャーニを「アリー スター誕生」のレディー・ガガ、夫マウリツィオ・グッチを「マリッジ・ストーリー」のアダム・ドライバーが演じ、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レトが共演。
これを見るとブランドの本質であったり物の本質というものがどこにあるのかと思わされる。
皆が憧れ、品質を証明し、その存在感、所有欲から語られることが多いし、自分自身もブランドはそういうものだと思っていた。
けれども、本作で描かれえるのは脚色ありではあるものの、人の欲や金といったドス黒いものに覆われた何かだった。
この煙に巻かれれた格好の黒さというのを象徴するかのようなスモーキング演出。まあ実際にはファンタジックであったり、映像の奥行であったり、空間的、効果的な演出として使われていることのほうが多いんでしょうが。とにかくスモークが焚かれているシーンが多いのなんの。
他作でも見られるようなリドリースコット監督の好きな演出なのか、この独特な世界観は今回も健在。
いきなり具体的な話になりましたが、正直一番やられたのが冒頭の数分間。
映像的、音楽的快楽の極みといった、カットが続き、全てのタイミングがとにかく絶妙。トン、トン、トン、ときてタイトルという気持ち良さに、冒頭から一気に持っていかれました。
その他の場面で言うとファッションショーやクラブでのシーン。
今とは違う明らかに煌びやかなそれは、時代の違いを感じるし、パワーと熱量も凄まじい限り。アダムドライバーとレディーガガの演技による迫力も合わさり、豪華絢爛勢いで押し切る。そんなシーンが他にも盛り沢山。
周りを固める役者陣もかなり気が利いた人選で、ジャレットレトなんて言われなければ気付かないでしょう。音楽の使い方もライブ的で、場面によってはそれこそMVを見ているような印象すら受けてしまいます。
カラーリングも深みある落ち着いたトーンから、目を見張るビビットなトーンまで。洋服を選ぶように、その場の雰囲気に合わせて仕立てられた、まさにオーダーメイドな作品。
物語的には実話ベースとのこと。これが実話かよ、と思ってしまうほどに現実離れしたその展開にも驚きますが、何が驚きって、それがグッチの話だというところ。
こういったメゾンブランドって、今のイメージからするとさぞかしお堅い伝統と継承があって、高貴なイメージというのがほとんどだと思うんですよね。
そんなイメージを覆すようなドロドロっぷり。こういった映像を観るとやはり人が作っているものだし、そのイメージも人が作り出すもの。本来であればモノそのものを見て判断していたところから本質がズレていってしまう。その先に残るのは空っぽな資本主義だと思うと自分自身の判断基準を突きつけられているようで心苦しくもある。
そうは言ってもトムフォード時のグッチの感じは上がるし、現デザイナーのミケーレはかなり好きなデザイナーなので、その歴史的事実をこういった形で知れたのは良かった。
リドリースコットは劇的なというかドラマティックに魅せるのがほんと上手いなと改めた作品でもありましたね。