馬鹿にされたっていい、貫けばきっと誰かがわかってくれるはず。
『壬生義士伝』
新選組に参加した、名も無き武士のひたむきな生き様を描いた時代劇。
浅田次郎の同名小説を基に、「あ、春」の中島丈博が脚色。撮影を「姐御 ANEGO」の浜田毅が担当している。主演は「竜馬の妻とその夫と愛人」の中井貴一と「うつつ UTUTU」の佐藤浩市。第15回東京国際映画祭特別招待、芸術文化振興基金助成事業作品。
時折、時代劇ブームみたいなものがやってくるんですが、やはり自分は殺陣であったり、侍であったり、過去の精神であったりといった、そうした価値観が好きなのかもしれない。
今となっては失われてしまったものが多いのかもしれないけれど、観るとやっぱり感動するし、日本人の精神性みたいなものを感じる。
まず中井貴一演じる貫一郎の役がかなりハマっているなと思った。柔と剛と言いますか、抜けた感じと田舎者臭さが漂っている雰囲気にも関わらず、決めるところでは決めてくるし、その時の表情や佇まいに、ぼんやり感は微塵も感じない。この塩梅が両立する役者さんはそういないんじゃないでしょうか。
夏川結衣演じるしずも見事で、凛とした表情や振舞いにグッと持っていかれる。舞を踊っている場面や結婚時の正装なんかは美しさと頭一つ抜けた感があり、抜群に綺麗だった。ぬいを演じた中谷美紀もそうだけど、本作内で登場する女性の綺麗さはストーリー上の不可欠な要素だった気がするし、その儚さと存在からもみられる『らしさ』っていうのはやっぱり必要なんだと思った。
昨今だと男女平等だとかフェミニズムだとかポリコレだとか色々なことが取り沙汰されているけど、そういった概念偏重になること以上に、その人らしさとかそういったものの方が重要なんじゃないかと思わされる。
そういう意味で本作で描かれている個々人は、女性らしさや男性らしさといったことも含んでの、その人らしさが良く表れていると思う。
他の概念もそうで、貫一郎の雰囲気を観ていると、人の中にある強さの形は様々で、上っ面じゃない、核なる信念みたいなものこそが重要なんだろうな改めて痛感させられる。
「自分の人生が」とか「やりたいことして生きていく」とかそういった類の生き方もそれはそれで良いのかもしれない、でも、真に重要な事ってそこには無い気がして、突き詰めると『義』というか『信念』というか、自分の中にあるブレない軸にこそ、その人なりの価値がある気がする。
そういう人っていうのは結局生き様として観た時にカッコいいと思うし、関わった人にも何かしらの痕跡を残せるんだと思う。
別にそんなことは目的に無いんだろうけど、それも含めてその精神性に打たれるし憧れてしまう。
逆にそれらが無い状況も本作では示されていて、その最たる例が『長いものに巻かれろ』精神。
仕方が無いと割り切ってしまえばそうなんだろうけど、そんなことこそ、そんな判断を下している中においては、自分という存在であったりに価値は見出せないと思うし、とにかくダサすぎる。
ダサいと言えば、見た目だったり、持っているものであったりといった外見で人のダサさが計れないと思った点もあった。
普段そういったことで人の也を判断しがちだと思うし、自分自身もそう思っていた。だけど、本作で描かれる貫一郎の、身なりもボロボロ、持っている剣も無名、身分もそう。それでも守るべきもの、守るべき信念、貫くべき義、こういったものを積み上げていくことで得られるのは何物にも代えがたい内面的な美徳であり、カッコ良さなんだと気付かされた。
カッコいいものにカッコ良くしてもらうんじゃなくて、己を磨いて、自分の持ち物をカッコ良く見せる。そのことの方が実はカッコいいことなんじゃないか、そんなことを思わされたりもしました。
映画的なことに話を戻すと、映像的な部分でも対称性のある画面にはハッとさせられる部分があった。
ここぞという場面での写実的で対称性のある構図、ただただ綺麗で、見入ってしまうシーンがいくつかあり、映像としての美しさが一層場面内での人物のそれを際立たせていた気がする。
音楽に関しても久石譲の楽曲はやはり素晴らしい。静寂の中で流れる音の優雅な含みであったり、効果的に使われる無音時との対比が素晴らしい。感動を助長させるといういみでも過剰になり過ぎない演出が効いていたと思う。
とまあ色々と書いては見たものの、観て感じることの方が重要なのは言うまでもないわけで、自分はこういった時代物の精神性が好きなんだと再確認したわけでして。
小説もこういったものはたまに読むんですが、最近は読めていなかったのでまた本作の原作含め読んでいこうかと思っております。