映画愛の塊魂。
『ホドロフスキーのDUNE』
「ホーリー・マウンテン」「エル・トポ」などでカルト的人気を誇る奇才アレハンドロ・ホドロフスキー監督が映画化に挑んだものの、実現に至らず失敗に終わった幻のSF大作「DUNE」。
フランク・ハーバートの「デューン 砂の惑星」を原作に、サルバドール・ダリやミック・ジャガー、オーソン・ウェルズ、メビウス、H・R・ギーガー、ピンク・フロイドら豪華スタッフ&キャストをそろえながらも、撮影前に頓挫した同作の驚きの企画内容や製作中止に追い込まれていった過程を、ホドロフスキー自身やプロデューサー、関係者へのインタビュー、膨大なデザイン画や資料などから明らかにしていくドキュメンタリー。
DUNEを一度観てから復習がてらこちらを観たんですが、ホドロフスキーの見方が変わりますね。まさに原作並みの奇作。
前々から変な人だとは思っていたものの、それは作品から受けていた印象で、本人から受けていた印象とは異なっていたんだなということも再認識させられました。
中でも意外だったのが映画というものに対してのとてつもない愛。未完のDUNEですらそれがひしひしと伝わってくる。どれだけの時間と労力を費やし、イメージを膨らませ、キャストを集め、それらを観ているだけでも一本の映画を観ていると錯覚してしまうほど物語性があるし、メチャクチャドラマチック。
完成しなかったのは残念だし、政治性や時代性を感じてしまうけれど、「それがあったから今がある」と言えてしまうホドロフスキーには頭が上がりません。
本当にそこからインスピレーションを受け、出てきたであろう映画、人、美術、才能、そう言ったもののかけがえなさを感じます。
さらに意外だったのが結局DUNEを制作することになったリンチに対してもそう。ボロクソに貶すのかと思えば、それも無く、本心から出てきてるんだろうなと思わされる愛を感じるコメントにも痺れました。やっぱりどの分野もそうですがリスペクトは大事なんだなと改めて。
そんな姿勢こそが、あれだけのキャストを集めたりといったことにも繋がるわけですし、それらから人望や信頼を得ることも納得できた。
そんな本作の面白いところが『映画を観てない、ドキュメンタリーにも関わらず、作中のDUNEを観た感覚になれる』ということ。
これが非常に不思議な感覚で、絵コンテやら美術やら写真やらを見て、インタビューを聞いているとストーリーとしての画が浮かんでくるんですよね。まぁ実際にそういった作画が出てきたりというところも大きいとは思うんですが、それでもホドロフスキーが作ろうとしていたDUNEの世界観がわかってくる。
観終わった後には是非観たかったという思いと、こう言った形でも知れたのは良かったという思いが混在しましたが、非常に満足感の高いドキュメンタリー作品でした。
商業的になってしまうのは仕方が無い側面もあると思いますが、それでも「映画は芸術だ」と言い切るホドロフスキーの姿勢を買いたいと思ってしまうのが難しい所です。
ドゥニヴィルヌーヴ版DUNEを観る前にも観た後にも楽しめる作品なのでセットで是非。
それにしてもやっぱり個人的にはこのホドロフスキー版のDUNEのビジュアルやフォント含め、一番好きかもしれない。
では。